さそり座
沈黙の花
芯を得るということ
今週のさそり座は、『みづうみの芯の動かぬ良夜かな』(岡田一実)という句のごとし。あるいは、目に見えない花が静かに開いていくような星回り。
良夜の月に照らされて、普段なら認識することも、そもそもそんなものが存在することすら想像していなかったものが、不意に目の前に浮かび上がってくる。
例えば、湖に「芯」があるなどとは、掲句を読むまでは考えたこともありませんでしたが、こうこうと月の光が降り注ぐなか音もたてずに静まりかえっている湖を前にした作者の胸の内を想像してみれば、確かにそこに何か沈黙に徹する深い叡智のようなものがあるように感じられてくるのも不思議ではないはず。
そこからさらにいつも流れてやまない水が、一個の揺るぎない「みづうみ」をなしているのも、そんな「芯」があったればこそなのだ、といった考えにいたるのも、ごく自然な流れなのではないでしょうか。
そして、これは逆に言えば、深い沈黙やぐっと息を溜めこむ瞬間をもたない存在者というのは、湖であれ人間であれ、すっかり「芯」を失っている状態にあるのだとも言えます。
その意味で、9月10日にさそり座から数えて「再誕」を意味する5番目のうお座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、沈黙や動きの停止をたっぷりと取り入れていくことで、本来の調子を取り戻していくべし。
ビジョンの発生
以前どこかで、LSDを服用した後、まぶたの裏に一輪の蓮華の花が花開いていくのを視たという体験談を読んだことがありました。
花芯からつぎつぎと花びらが湧き出し、それが外へ外へとかぎりなくひらいていく。それはひとつの運動であり、秩序であり、同時に完全と無限との相容れがたい2つの相を備えていた、と。
固くつぼんだ状態から徐々に開花していくその姿は、収縮した心臓が膨張するようでもあり、宇宙が幾つものカルパ(サンスクリット語で「宇宙の始まりから終わりまでの時間」の意)を経て点から極大へと向かうようでもあり、どことなくバラモン教の奥義書であるウパニシャッドの「ブラフマン(宇宙我)の都城(身体)の中の白蓮華の家(心臓)」を思い起こさせます。
きっと忘れ去られていた過去の記憶を思い出したり、これまではっきりと言葉になっていなかった感情に適切な言葉が与えられたりする時にも、どこかで目に見えない蓮華が咲いているのではないでしょうか。
その意味で今週のさそり座においても、そんな幻視とも言い切れず、現実にもなりきっていない1つのビジョンがそっと花開いていくことがあるかも知れません。
さそり座の今週のキーワード
こみあげるイマージュの源