さそり座
越境を後押ししてくれるもの
杖と導き
今週のさそり座は、『日光月光すずしさの杖いつぽん』(黒田杏子)という句のごとし。あるいは、必要不可欠な手助けをみずからに呼び込んでいこうとするような星回り。
昼は日の光のなかを、夜は月の光のなかを、涼し気ないっぽんの杖だけを頼りに旅していく巡礼者をうたった一句。最後の「いつぽん」が「日光月光」を受けて跳ねあがっているように感じられ、昔テレビで流れていたリポビタンDのCMの「ファイトイッパーツ!」という掛け声をどことなく思い出させます。
彼らはいつも険しい山間の道や断崖絶壁で「イッパーツ!」と大声をあげていた訳ですが、神話の世界における越境者も、実際はそうした難所を幾度となく乗り越えていたのでしょう。そのためか、彼らは身体の一部が不自由であることが多く、片目や片腕がなかったり、杖をついていたりして、そのことが逆に、別の世界へ向かうための一助ともなったのでした。
すなわち、巡礼を完遂していくためには、自力頼みだけでは限界があり、必ず何らかの神の篤い守護が不可欠となりますから、掲句が詠う「杖いつぽん」がもたらす「すずしさ」というのも、やはりある種の“お導き”が起きている証しのようなものなのかも知れません。
同様に、7月14日にさそり座から数えて「道行き」を意味する3番目のやぎ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、あちらからこちら、此処から他所/余所への移行を後押ししてくれるような“お導き”がもたらされていきそうです。
心のとめよう、体のふれよう
お導きに近いニュアンスで思い出される言葉に「合縁奇縁」というものがあります。実際、人生を左右するような出会いや縁というものには不思議な符合がつきもので、私たちはついつい、そういうものは人知を超えた力が働いてすべてお膳立てされていくように思いがちですが、必ずしもそうではありません。
すべての縁が「事」を起こすわけではなく、「事」の起こり方は「心」の運動に大きく左右されていくのです。南方熊楠という人は、このことを「心のとめよう、体のふれよう」で事は起こるのだ、と言いました。
つまり人間はさまざまな縁の連鎖や分離、あるいは結合にただ翻弄されるだけではない。縁にみずから働きかけることで、おのずから縁の「起(おこり)」すなわち、縁の自然な展開をもたらすことも出来るのだと。
そうした「起」を見極めるためには、絶え間なくあちらこちらをさまよいがちな心をしっかりとめて、ちゃんと風の通り道に巣を張る蜘蛛のように、おのれが何を欲していて、それを持っている相手がどの方向にいるのか、そして、その相手にどう働きかけるべきか、ということを知って、そこにみずから働きかけていかねばならないのです。
今週のさそり座もまた、ここぞという縁の「起(おこり)」をもたらすべく、それなりの確信をもって杖をついていくべし。
さそり座の今週のキーワード
機先を制する