さそり座
獣の涙
最初のひと声
今週のさそり座は、「枯原の蛇口ひねれば生きてをり」(髙柳克弘)という句のごとし。あるいは、胸の奥の深いところから何かがやっと流れ出していくような星回り。
どこかの公園だろうか。草木が枯れ果ててひっそりとした冬の野に、忽然と水場があらわれ、てっきりこちらも枯れているものと思っていた蛇口から、予想に反して水が出てきた。
考えてみれば当たり前の話であり、句にして読むほどのことでもない“ただごと”のように感じられますが、作者はそれをあえて「生きてをり」と詠んでみせたわけです。
これは、作者が「生きてをり」と書くことによって生の実感を得ているということに他ならず、その意味で、掲句は少なくとも作者にとって単なることば遊びなどではなく、さりげなくはあるものの、文字通り命がけでのぞむべき儀式に近いと言えるのではないでしょうか。
そして蛇口から「ちょろちょろ」であれ「じょぼじょぼ」であれ、音を立てて出てきたものとは、おそらく読み手にとっての命がいまにも動き出す際のイメージであり、それはやがていかなる形式であれ必ずある種の表現となって発されていくものの源泉ともなるはず。
同様に、12月29日に拡大と発展の星である木星が、さそり座から数えて「思いの発露」を意味する5番目のうお座へと移っていく今週のあなたもまた、そうした源泉から改めて最初のいのちの一滴を改めてひねり出していくことがテーマとなっていくでしょう。
石垣りんの「くらし」という詩
作者は15歳で日本興業銀行に事務見習いとして就職し、以後定年まで一家の大黒柱として働き通しながら詩作を続けた人で、詩の才能が開花したのは40代に入ってからでした。
食わずには生きてゆけない。
メシを/野菜を/肉を/空気を/光を/水を/親を/きょうだいを/師を/金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ/口をぬぐえば/台所に散らばっている/にんじんのしっぽ/
鳥の骨/父のはらわた/四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
スネをかじっているあいだは分からなかった親のありがたみも、今度は自分がかじられる番になるとやっと身に沁みて分かってくるものですが、そうした生の繰り返しや哀れさが、「四十の日暮れ」という言葉でぎゅっと凝縮して、最後の一行でカタルシス(浄化作用)に至っていく。声に出して読んでみると、まるで般若心経のお経のようでもあります。
年末年地のさそり座もまた、生きることにまつわるぬぐいがたいあさましさを噛みしめつつ、改めてそのありのままの姿を見つめ続けることができるかどうかが問われていくはず。
さそり座の今週のキーワード
おのれの半生の苦闘を浄化していくこと