さそり座
すぽぽぽぽーん
芸術家の役目
今週のさそり座は、世阿弥の「住する所なきを、まず花と知るべし」という言葉のごとし。あるいは、惰性の罠から脱け出すべく、捨てるべきものを見定めていくような星回り。
「住する所なき」とは住居のことではなく、「そこに留まり続けることなく」の意。世阿弥が完成させたと言われる能は、現在からみれば伝統芸術ですが、実際に世阿弥が生きた室町時代においては目まぐるしく変わっていく途中の「現在の芸術」でした。
すなわち、上演されるごとに作られつつあるものであり、そこでは珍しさが求められ、目新しさが観客の関心の的となり、毎回公演ごとに変化していくことこそが芸術の価値でした。
その意味で、冒頭の「住する所なきを、まず花と知るべし」という言葉は、自己模倣のうちに同じことを繰り返す惰性の人生や、その惰性の罠から脱け出していくことが「花」=芸術の本質であると言っている訳です。それはどんなジャンルであっても、成長していくものはファンを裏切る。裏切ってでも、変化を求め、ファンを新しい次元へ連れていくのが芸術家の役目なのだと、世阿弥は考えたのです。
その意味で、12日にさそり座から数えて「心の支え」を意味する4番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたのテーマもまた、これまでの自分のままでやっていこうとする「住する」の精神をどこかで捨て、卒業していくということなのだと言えます。
世阿弥の言葉は厳しいですが、今こそ耳を傾けていきたいところ。
自由な情報の海を泳ぐために
例えば、カリブ海諸国出身者として初めてノーベル文学賞を受賞した詩人ウォルコットは、「歴史」によって名前を奪われた群島の子供として、みずからの名前をカリブ海の波間に放擲しようという衝動をしばしば詩行に滲ませてきました。
僕は海を愛する銅色のニガーにすぎん
健全な植民地教育を受けた人間
オランダ ニガー おまけにイングリッシュの血が入っている
僕はノーボディか さもなけりゃ一人で国家(ネイション)だ
(「帆船“逃避号”」)
彼はここで、初めに侮蔑語としての「ニガー」から逃げることをやめ、みずからの家系に混入しているオランダ人やイギリス人の血を受けれつつ、ついには「ノーバディ(nobody)」すなわち誰でもない“無名性”の自己認識へと行き着いて、そこから一気に「国家(nation)」という抽象的な怪物の名前へと変幻する、大胆なアクロバットを決めてみせます。
被支配のあらゆる切断と略奪の中を生き抜いた混血の群島人の子孫である彼は、ここで再び先祖が強制的に渡らされてきた海を、今度は自由に渡っていくための新しいことばの遊泳力を試そうとしていたのかも知れません。その意味では彼もまた「現在の芸術」に生きた人であり、「住する所なき」の実践者だったのだと言えるのではないでしょうか。
今週のキーワード
ことばの遊泳力