さそり座
生の要求への自覚
危機における生命の本能
今週のさそり座は、鴨長明の『方丈記』の一節のごとし。あるいは、これだけは忘れてはいけないという最後の一線を改めて思い出していくような星回り。
疫病、災害、飢饉。ひとの世の苦しみは、鴨長明が生きた鎌倉時代からまるで変わっていない。相変わらず地震はくるし、年をとるほど身体のあちこちにガタが来る。だからと言って、そのたびごとに落ち込んでいたら、とても死ぬまでもたないだろう。
「さりがたき妻、をとこ持ちたるものは、その思ひまさりて、かならず先立ちて死ぬ。その故は、我が身をば次にして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食物をも、かれに譲るによりてなり。」
どうしたって恋はしんどい。愛だなんだと言っているのも、キリストの昔からみんな苦しみにのたうち回っている人間ばかりだ。だから、誰かとどんなに親しく恋しい仲になっても、食いものが譲れなくなったらこの一文を思い出して、きっぱり別れてしまうといい。
それは単に恋の終わりである以上に、なにより生き死にの別れ道なのだから。生きていればこそ、ほかの誰かと交われる。おいしいご飯も食べられるし、ああ綺麗だなと思える光景にも出会える。とことん気が済むまでいのちを味わえる。
11月1日にさそり座の太陽がおうし座にある天王星と向き合っていく今週のあなたもまた、自分なりの危機への向き合い方を再確認していくことになるはずだ。
「自然体」というハードル
「整体」という言葉が普及するきっかけをつくった野口晴哉は、自然に生きるとは何も獣のように山野を駆け回ることにあるのではなく、「白い飯を赤き血にして、黄色き糞にしていく」そのはたらきにこそあると言います。
「生の食べ物を食べても、生水を飲んでも、海で泳いでも、森の中に入ってもそれが自然なのではない。人間という集合動物が街をつくり、その中に住んでいたって決して不自然ではないのだ。ただその生活のうちに生の要求をハッキリ活かすよう生くることが、生くる自然であることだけはハッキリしておかなければならない」(『月刊全生』)
身の内にある“よりよく生きる要求”、すなわち自然の言うことを、きちんと聞いていくこと。それこそが「自然体」ということの本来の意味であり、自然を見失った文明人となってしまった私たちにとって、もっとも高いハードルなのかもしれません。
今週のキーワード
自然のリズムと同調する