さそり座
道草を楽しむ
まずはちょっと外をのぞいてみる
今週のさそり座は、船宿から外の景色を覗いてみるがごとし。あるいは、軽みをもってこの世に浮かれていくような星回り。
かつて日本各地で興行目的に建てられた木造劇場である「芝居小屋」の出入口というのは、もともとわざと非常に小さく作られていて、茶室のにじり口も一説にはこの木戸口(芝居小屋の出入り口)が起源なのだとされています。
つまり、戸を後ろ手でしめて閉じこもってしまうと、そこに別世界が開けてくる。木戸口がにじり口の起源であるとする説の他には、船宿がそれだというものがあるのですが、こちらはもっと浮気心のはかなさがありますね。
船宿の世界というのは、いっとき閉じこもることは閉じこもるけれども、ときどき外をのぞいて、そこに流れる景色がさっと心に入り込んでくる。完全な密室に自分を押し込めるというのとは違うからこそ「いき」な世界だった。
この、ちょっと外をのぞくというところが大事なのであって、例えばわき目もふらずに恋人にベターっとくっついて、一途になるのでは“遊び”が足りないとされました。それが江戸時代の美学だった訳です。
7月5日にさそり座から数えて「遊びと軽み」を意味する3番目のやぎ座で満月が起きていく今週のあなたもまた、そんな船宿の世界のように、閉鎖的になりがちな心象世界にパッと通路を開放してさらさらと流動していきたいところ。
機械的金縛り状態を解く
時間というのは、ぬれた手の中の蛇のようなものだと思う。しっかりつかもうとすればするほど、すべり出てしまう。自分で、かえって遠ざけてしまう。パパラギはいつも、伸ばした手で時間のあとを追っかけて行き、時間に日なたぼっこのヒマさえ与えない。
(中略)
私たちは、哀れな、迷えるパパラギを、狂気から救ってやらねばならない。時間を取りもどしてやらねばならない。私たちは、パパラギの小さな丸い時間機械を打ちこわし、彼らに教えてやらねばならない。日の出から日の入りまで、ひとりの人間には使い切れないほどたくさんの時間があることを。(エーリッヒ・ショイルマン、『パパラギ』)
「パパラギ」とは「外国人」の意で、現代の日本人もまたその典型と言えるでしょう。確かに私たちは次から次に投げわたされる情報の処理に忙殺されて、肝心の頭やハートがお留守になってしまう、「機械的金縛り状態」とも呼ぶべき事態にしばしば陥ってしまいます。
だからこそ著者が言うように、ときどき「小さな丸い時間機械を打ちこわし」てでも、一種の「わき見」をさせて、すっかり留守になっていたハートを働かせてあげなければなりません。
「わき見」というのは、想像力の喚起なんです。今週はそうしておおいに道草を食っていく時間を楽しんでいきましょう。
今週のキーワード
風のとおり道