さそり座
我執のたどり着く先
女一代記
今週のさそり座は、「吾が死なば虹を棺の通路とす」(三好潤子)という句のごとし。あるいは、個人的な執着を手放して開かれていくような星回り。
俳句という短い詩型では、用いられる季語の豊かなバリエーションや偏りのなさが自然と志向されるが、作者はむしろ好みの季語を限定し、それらにおのれの命の火を燃え移らせるかのように俳句を詠んでいった。
それはそのまま恋と性の小路をとおって女の一代記へとなったが、それは同時におのれの生命への愛おしみでもあったのではないだろうか。
掲句はいささか自分の死を美化し過ぎているようにも感じるが、それもまた自愛の成果なのだと思えば、過剰ということのほどでもないだろう。
掲句において、作者の想像力は自在であり、無責任であり、大きな誤謬をおかすこともあるかも知れないが、その分だけつまらない執着を手放しているのだとも思う。
5月1日にさそり座から数えて「たどり着く先」を意味する7番目のおうし座で、水星(知性)が天王星(転調と著しい飛躍)と重なっていく今週のあなたもまた、想像力をのせていくのに相応しい相手や対象との出会いを通して自分を大きく解放させていきたいところ。
「懐疑論者は語る」
「君の人生は半ば終わった。
時計の針は進み、君の魂は戦慄(わな)ないている!
魂は延々と彷徨いつづけ、
尋ね求めたが見出さなかった―それなのに、魂はいまさら躊躇うのか?
君の人生は半ば終わった。
この世にあっては、一刻一刻が苦痛であり、迷いであった!
それなのに君は何を求める。何ゆえに?――
それこそ私が探し求めるもの―そうしたことの理由そのもの!」
(ニーチェ、村井則夫訳『喜ばしき知恵』)
そう、何かを求めてやまない理由そのものに近づいたとき、既に終わりは近い。今あなたは自分の生まれ、自らの星について、どこまで自覚できているだろうか。
あなたは「いまさら躊躇(とまど)うのか」、とまどうとしたら、それはなぜ?
そこのところが今週のさそり座の核心なのだと言える。
今週のキーワード
恋と性の小路が帰っていく場所