さそり座
基盤、そしてリズム
何を“下”に敷いているか
今週のさそり座は、「腹這へば乳房あふれてあたたかし」(土肥あき子)という句のごとし。あるいは、今まで見過ごしてきた価値を肯定的に捉え直していくような星回り。
乳房があること(その大きさにしろ、小ささにしろ)が憂いの物種として捉えられがちな世相からすると、授乳の場でも性愛の場でもないところで、静かな喜びと共に自身が女性であることを肯定し、楽しんでいる掲句の作者の姿はどこか新鮮に映る。
確かにふだん忘れていた乳房の存在感に気付くのには、大地から気が萌えいずる春がもっともふさわしいのかもしれない。
ふわふわとしたあたたかいものは、その存在だけで価値があり、それ自体が生命的だ。けれど、現代というのはそういう生命的なものをこそ無視する方向に社会が向かっている時代であり、掲句はどこかでそうした見過ごせない現実もまた逆照射してくる。 いのちが先か、面子や世間体が先か。その答えはいつだって何を“下”にして存在しているか、ということと共にある。
20日にさそり座から数えて「自己健全化」を意味する6番目のおひつじ座へ、太陽が入り春分を迎えていく今週のあなたもまた、ハッと我に返って実質に立ち戻る瞬間を大切にしていきたいところ。
リズムを生きる
そこに価値を見出すべきか否か、という判断基準については、いわゆる「リズムが合う・合わない」という感覚も大切になってきます。
たとえばメキシコの詩人オクタビオ・パスなどは、「リズムは拍ではない。それは世界のヴィジョンである。暦、道徳、政治、技術、哲学といった、要するにわれわれが文化と呼ぶあらゆるものがリズムに根差している」(『弓と竪琴』)とまで言っている。
そもそもこのエッセイ集のタイトル自体が、「宇宙は弓や竪琴の弦のような緊張状態にある」という宇宙観に拠っています。「人間の神秘性は、人間が宇宙の秩序の一歯車、大協奏曲に一和音でありながら、同時に自由であることに存する」と、パスはそうした宇宙における人間の位置づけについて、言葉を続けています。
ハッとするのも「リズムが合う」からであって、それは究極のところそのような宇宙観や人間観の上で、自覚と自由の真ん中に立っていくような生き方への自己一致なのだろう。
今週のキーワード
自己一致