さそり座
人は星なり
中世詩歌における「会」の重たさ
今週のさそり座は、「わが恋は逢ふを限りの頼みだに行方も知らぬ空の浮雲」(堀川通具)という歌のごとし。あるいは、「一期一会」を深めていくような星回り。
作者は道元の養父でもあった歌人で、『新古今和歌集』の撰者の一人。
「逢ふを限りの頼みだに」は切なる願いが表されていますが、この歌に限らず日本中世の詩歌や歌謡を見ていくと、そこには「会う/逢う」ことへのおそれを渇きがぞろぞろと湧出してくることに気付きます。
しかも、そうした「会」やただ「見」とされる言葉は、必ずしも叶えられないもの、遂げることができないものというニュアンスで使われることがほとんどで、ついにはむしろその未遂を願う悲歌のためにそうした言葉があるようにさえ感じられてくるのです。
時代こそ隔絶してはいますが、今週のあなたにもまたそうした中世の詩歌歌謡に通底する雰囲気がそっと流れ込んできているように思います。
「見る」「会う」「しのぶ」といった動詞や、「いのち」「おもかげ」「なみだ」といった名詞などにも特別な感慨が湧いてくるかもしれません。
漆黒の黒板を背景にして
中世と現代の違いは何かと問われれば、真っ先に夜空が挙げられるでしょう。
特に都会の空は、ネオンの氾濫するスクリーンのようです。そこには、こぼれ落ちるような深い孤独の息遣いが感じられない代わりに、そうした孤独をネオンで薄められてしまった白けた悲しさがある。
こうして山の上や郊外ではあんなにひしめきあって見えた星々も、都会ではまったく印象が変わってしまいます。
くっきりとした明確な線で星と星とを結んでいくには、そのあいだに漆黒の黒板がなければなりません。
恋人であれ、友人であれ、家族であれ、そこにきちんと孤独の息遣いを感じるだけの間合いや静けさがなければ、それは何十年何百年何千年と続くような星座とはなり得ないでしょう。
- 孤独をごまかさないこと
- 淋しさを無理に埋めようとしないこと
- シンと静まりかえった間を大切にしていくこと
当たり前のことではありますが、やっぱりそういうことが大切になってくるのかなと、今週のさそり座の星回りを見ていると思われてくるのです。
今週のキーワード
星と星を結んで星座にすること