さそり座
本能を取り戻せ
不感症になる前に
今週のさそり座は、「野遊や食つて空腹思ひ出す」(小野あらた)という句のごとし。あるいは、事後的に自分の抱えていた不足や苦しみを知っていくような星回り。
一読して、ああ、あるある、と思わずほくそ笑んでしまうような一句。
「野遊」は晩春の季語で、今でいうピクニックのことですが、本来は土にまみれ、自然の懐に飛び込むなかで日常世界の穢れ(気枯れ)や垢を落としていくことにその本質があったのではないでしょうか。
そう考えた上で改めて掲句を見返してみると、これは内なる野生との遭遇を詠んだものではないかと少し印象が変わってくるように思います。
つまり、掲句は「花より団子」的なありきたりな光景の写実などではなく、去勢されかけていた野生が息を吹き返し、思いがけないかたちで意識や社会の表層に露出しつつある回復のさまなのではないか、と。
確かに、自意識にがんじがらめになると、もはや「食う」ことさえ欲望できないような状態に至るものです。
しかし、食べることは生きることであり、生を性に、自己愛を性愛に絡ませることではじめて、人は自己愛を利他的で社会的な欲動へと転換させていけるのだとすれば、もはや掲句をなんと世俗的な、などと笑うことはできないでしょう。
23日(火)にさそり座の正反対のサインであるおうし座で太陽が天王星へと重なっていく今週は、後になって後悔しないためにも、掲句に負けじとあなたが今まさに必要とする欲望を思い出していきたいところです。
飢餓のなかに自分を置く
心の底からなにかを渇望したり、本気になることができないというのは、現代という時代における典型的な悲劇と言ってもいいかもしれません。
そして、こうした事態の本質というのは、言ってみれば私たちが「見てるだけ」の生活に慣れてしまったことにあるように思います。
というのも、脳が主体になると、どうしても何かを見て脳を刺激させること自体が目的化していきます。
そうなると、自分のことさえどこか他人事のようにモニタリングしている状態になっていくので、結果的に、身体だけでなく生きることにまつわる本能からさえも切り離され、やがて社会性や利他性までも失われてしまうという訳です。
本気で何かを欲望してくためには、いったん身体や心から持てる力をすべてしぼり出して、 空っぽの飢餓状態を経ていくことが必要ですが、そうした状態で感じられることというのは、やはり私たちが人として生きていく上で忘れてはならない、アルファでありオメガなのではないでしょうか。
27日(土)に下弦の月を迎えていく今週は、断食(ファスティング)やスマホ断ちなど、何かしら自動的な供給をストップしてみることを検討してみてもいいかもしれません。
今週のキーワード
お腹の底から本気になる