さそり座
お名前は?
独創的であるために
今週のさそり座は、「名付けられえない何ものかを見ている者」のごとし。あるいは、安易な自己満足を揺さぶられギクッとしたり、逆に誰かをギクッとさせることで、ほんらいの力を呼び起こしていくような星回り。
「独創性」ないし「クリエイティビティー」という言葉ほど、今の社会において定義することが難しく、また定義そのものが陳腐化している言葉はないでしょう。
例えばニーチェは『喜ばしき知恵』(村井則夫訳)の「独創性」という断章において、次のように述べています。
「独創性とは何だろう?万人の眼に止まっているにも関わらず、いまだ名称をもたない何ものか、名づけられえない何ものかを見ることである。人間の習性がそうであるように、名称が与えられると、はじめてそのものが見えるようになってくるものだ。-独創的な人とは、たいていはそれを命名した者のことである。」
まだ名前のついていない感情、確かにあるのにおぼろげにしか認識されていない幽霊のごとき作用、何と呼んでいいのかまだ適切な呼び名が定まっていない社会現象。
それらは認識されることで平板化していきがちな世界に新たな奥行きをもたらし、しばしば理由なき生きづらさを軽減してくれる。それゆえにこそ、人はまだ目に見えないものに魅了されてしまうのかもしれません。
その意味で、今のあなたもまた、自分の内部や身の周りを見つめ返していく中で、目に見えるものだけに囲われた生活の“外”へと踏み出ようとしているのだと言えるでしょう。
名前を呼ぶということ
寺山修司はかつて『家出のすすめ』で、
「人間は、一つの言葉、一つの名の記録のために、さすらいつづけてゆく動物であり、それゆえドラマでもっとも美しいのは、人が自分の名を名乗るときではないか」
と述べました。
確かに自分の名前を誰かに告げる瞬間というのは本来とても決定的な瞬間です。というのも、私たちは誰かに名前を呼ばれることで存在が確定するのだということを、どこかで知っているからです。
ただ一方で、私たちはふだん自分の名前を雑に扱うことにすっかり慣れてしまっているのも事実でしょう。それにはさまざまな理由が考えられますが、根本的には私が<私>の感覚を信じられず、自信を持てないからなのかもしれません。
本当の名前とは何か。そして、それを声に出して呼ぶとはいかなることなのか。今週のテーマは、そんな言葉の力を実際に感じていくことの中にあるのかもしれません。
今週のキーワード
祝詞としての名前