
いて座
悪の由来を知ること

悪魔の箴言
今週のいて座は、「みんな悪魔です」というシュタイナーの言葉のごとし。あるいは、社会制度の組み立てが性悪説になる理由や前提に改めて立ち返っていくような星回り。
人間というのはどうしても、つい自分のことを善意の存在だと思い込んでしまうところがありますが、シュタイナーがよく冒頭のように言っていたように、自分もまた悪が人格化した存在である悪魔であるということから出発しなければ成熟した自己認識にはけっして至りえないのではないでしょうか。
その点で、近代的な合理主義が捨て去った人間の非合理な要素を打ち出したロマン主義を代表するひとりであるゲーテの『ファウスト』の書斎の場面に出てくる悪魔メフィストフェレスの「悪は入るときは自由だが、出るときは奴隷のように不自由だ」という言葉は、とても重要な示唆を含んでいるように思います。
これは悪魔と契約したのだから、解約するもしないも悪魔によってしかできないという意味にも取れますし、悪はその由来を知らなければ克服できないものなのだ、という風にも解釈できます。
逆に言えば、いつどこで、どんな些細なきっかけから悪が生じたのかということが認識されたならば、意識的に対決して克服することもできるけれども、そうでなければ、私たちは通り魔のように突如として現われたように見える悪に、理不尽なほどに振り回され、蹂躙されるばかりになってしまうわけです。
3月14日にいて座から数えて「成熟」を意味する10番目のおとめ座で月食満月(大放出)を迎えていく今週のあなたもまた、メフィストフェレスの言葉を繰り返し口に出して唱えながら過ごしていくくらいでちょうどいいでしょう。
生霊を放つ
作家の車谷長吉の言葉を借りれば、何かを書いたり、人を相手に話したりするということは、そこに言葉が介在するかぎり、その人の1番奥の方に巣くっている「生霊(いきすだま)」を放ってしまうということであり、普段自分でも忘れている生への恐れや、うわべでは上手に隠しているしがらみや不穏さを巷間へ解き放っていくということに他なりません。
したがって、人を傷つけもすれば、みずからも血を流す行為であり、考えれば考えるほどすれすれの振る舞いと思えてきます。しかもそれを何かしら「芸」として売り出すようなあざとい真似をしている者なら、皆すべからく「ろくでなし」と決まっているでしょう。
でも、そんな業さらしな真似をせずにはいられないのも人間の本性であって、どれだけ嫌気が差そうと毒気にまみれようと、いったんそういう行為に加担してしまえば、もはや元には戻れずのめり込むばかりで、それらの営みと共に生死を超えて往くしかないのです。
今週のいて座も、普段自分のしでかしていることの恐ろしさとむごさを抱えながら、それでも誰かに向けて何かしらを発信していく自分の姿をよくよく見つめ直してみるべし。
いて座の今週のキーワード
「悪は入るときは自由だが、出るときは奴隷のように不自由だ」





