いて座
祭礼と皮膚感覚
決意の強さは悲しみの深さなり
今週のいて座は、『水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る』(金子兜太)という句のごとし。あるいは、背中のつながりの先にあるものを思い出していくような星回り。
作者は25歳の時にサイパンを経て、トラックの夏島と呼ばれる島へと出征しましたが、その島では機銃掃射によって何人もの戦友が目の前で倒れたり、内地との交信も途絶えた後は深刻な食糧難になって餓死する者が続出したのだとか。
そんな極限状態の中で敗戦を迎えた作者は、やはり島で1年3カ月もの捕虜生活を送り、最後の引き揚げ船でようやく日本へ帰ってきた訳です。掲句では、その際の後ろ髪を引かれるような思いが、心に深く刻みつけるように詠まれています。
戦没者の墓碑は建てたものの、いよいよ島が遠ざかるにつれ島全体が墓標のように見えたのかも知れません。その瞬間に胸をつくように溢れてきた「非業の死者に報いたい」という思いは、島がすっかり見えなくなり、白い水脈が船のうしろに続くようになってからも一向に消えるどころか、むしろ強まっていったのでしょう。
ここに詠まれた「水脈」とは、死者たちへの離れがたい思いであると同時に、実在的なつながりだったのではないでしょうか。しかし、作者はあえて未練を断ちきった上で、死者たちのために生きようと決意し直したわけです。
8月13日にいて座から数えて「失われたもの」を意味する12番目のさそり座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分がその背に負っているの思いの深さやなまなましさを、少なからず実感していくことになるでしょう。
神的なものを呼び込む
「炎天の墓碑を置きて去り」と言うとき、墓碑は「依代」のような位置づけにあるのではないでしょうか。そして、祭りの際に神が降臨するための柱を立て、その先端(水脈の果て)に祭りに縁のあるものを取り付け、神への目印としたものを、民俗学の言葉で「依代(よりしろ)」ないし「標山(しめやま)」と言います。
依代として使われるものには宝石や貝殻、岩石、野獣の牙、人形などさまざまなものがありますが、特に樹木が圧倒的に多く、海辺ではタブの木、山地では榊や椿の木など、いずれも東アジア大陸につながる照葉樹が使われてきました。つまり、こうした風習は農耕文化圏に特有の、稔りや豊かさを呼び込むための祭礼だった訳です。
これは「この大地で自分たちは豊かさを得るのだ」という決意を固めていくための儀式でもあり、そうした儀式を共同体レベルで共有していくことで、言葉だけでなく実際的な行動レベルでそれを実行していくことを自分たち自身に促していったのでしょう。
戦後日本は豊かになりましたが、今ではそうしたかつての「戦後」は失われ、ある種の戦争or内戦状態に近しい事態に陥っているようにも思えます。その意味で、今週のいて座は自分なりの祭りをDIYし、実践していくくらいのつもりで過ごしてみるといいかも知れません。
いて座の今週のキーワード
つながりのサインとしての、うなじがざわざわさわさわする感じ