いて座
変態の途上にて
新たな官能性の探求
今週のいて座は、「星としての物体感覚」の追求のごとし。あるいは、いっそ「人でなし」となって身体をほどいていこうとするような星回り。
村田沙耶香の小説『ハコブネ』の登場人物・知佳子は「人である以前に星の欠片である感覚が強い」という実感を抱えており、自分以外の他の人たちは「永遠に続くおままごと」のような「共有幻想の世界」にあると感じています。つまり、自身の性的役割を妄信し、欲望につき動かされた獲得&支配ゲームにひたすら興じているような現代世界の常識に馴染めず、どうしても自身の「性別」を受け入れられない訳です。
彼女は性別やそれによって生じるあれやこれやのしがらみについて、「その外にいくらでも世界は広がっているのに、どうして苦しみながらそこに留まり続けるのだろう」と考え、性別を二元論で考え過ぎるきらいのある他の登場人物に対しても「力が入りすぎるとね、身体もほどけないんだよ」と言葉をかけたりしています。
そして、祖父から聞いた宇宙の話に基づき、太陽を「ソル」、地球を「アース」と呼んでいた知佳子は、肉体感覚ではなく「星としての物体感覚」を追求するうちに、やがて「物体として、アースと強い物体感覚で繋がる」という発想を思いつき、「ヒトであることを脱ぎ捨て」る道へと一気に進んでいくのです。
すると、肉体そのものが消滅する訳ではないにせよ、認識において知佳子の臓器は「粘土」に、性器は「静かに水に流れ出て」いる「自分の中央にある水溜り」へと変貌し、彼女から出る水と熱が「アース」に流れ込み、その「ひんやりとした表面の温度と湿気」が知佳子に染み込んでくるという交流へと展開していきます。
すなわち、この小説における知佳子は、ある意味で「ソル」を念頭に置いた脱・地球中心主義、そして脱・人間中心主義を垂直軸とすることで、「アース」やその表面で生きるヒトとの新たな官能性を探究しようとしているのだと言えるのではないでしょうか。
その意味で、6月6日にいて座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、さまざまな常識や区別を相対化していくなかで、新たなエロスの形式を模索していくことが少なからずテーマになっていくかも知れません。
人間離れ
鴨長明の歌論書である『無名抄』の中に、「言葉にも艶きはまりぬれば、ただ徳はおのづからそなはる(言葉の艶なるおもむきがきわまると、徳、つまりは力が自然と満ちてくる)」という一節があります。
この箇所について、作家の堀田善衛はさらに1つの連想を浮かべていて、それは次のような一幕なのです。
あるときに画家のドガが詩人マラルメに向かって、詩を一つ書いてみたいのだが、想はあるんだが、どうもうまく書けない、と言ったとき、言下にマラルメが、詩はことばで書くものであって観念で書くものではない、と
これはつまり、書かれている内容の具体性ないし直接性が喪失されて初めてそれは詩になるのだ、ということです。フィクションというのは、ただ自分の気持ちのままに言葉を綴っているうちはとても構築できない。喪ってはじめて得られる世界なのだ、と長明は考えていたのではないでしょうか。
今週のいて座もまた、なにか一つを喪って別の何かを得ていくという取引を、意図せずとも行っていくことになるのかも知れません。
いて座の今週のキーワード
ヒトであることを脱ぎ捨てる道へ