いて座
祝福への帰還
ショーペンハウアーの生きざま
今週のいて座は、小さな奇跡の歓待のごとし。あるいは、「前触れなしに、ひとりで気取らずに静かにやってくる」ものをこそ歓迎していこうとするような星回り。
古今東西のあらゆる哲学者のうちでも、その陰鬱さにおいて突出した人物を2、3人挙げろと言われれば、必ずその一人に入るであろう人物にアルトゥール・ショーペンハウアーがいますが、彼の『幸福について―人生論―』の中には次のような一節が出てきます。
華やかさというものはたいてい、劇場の書き割りのように単なる見せかけであって、本質が欠けている。たとえば、旗や花輪で飾られた船、祝砲、銅鑼や喇叭、歓声や喝采などは、歓びを表す看板であり、暗示であり、象形文字だ。ところが、歓びそのものは多くの場合そこにはない。ご本人だけが祝宴に来ることを辞退した格好だ。歓びが本当に姿を見せるときは、しばしば招かれたわけでもなく、前触れなしに、ひとりで気取らずに静かにやってくる。たいていはありきたりの状況の、取るに足らないごく些細なことで、輝きも晴れがましさもない機会に現われるのだ。(ショーペンハウアー、『幸福について―人生論―』、新潮文庫)
彼の哲学においては素朴な陽気さはほとんど居場所がありませんでしたが、とはいえその人生においては、予測できなかった小さな幸福の瞬間が確かにあり、こんな小さな奇跡があることを、ときに彼も目を見開きながら噛みしめていたのかも知れません。
4月9日にいて座から数えて「主観の露呈」を意味する5番目のおひつじ座で新月(皆既日食)を迎えていく今週のあなたもまた、ショーペンハウアーが述べたようなごく些細で、取るに足らない形で訪れる「歓び」をこそ、大切に迎え入れていきたいところです。
陶淵明の帰郷
40を過ぎた頃に役人生活に見切りをつけ、県令をわずか80日で辞して故郷に帰り、のちに「田園詩人」「隠遁詩人」として日本で最も愛読されている中国詩人の一人である陶淵明は、故郷へ帰る際に『帰去来辞』という詩を書いています。書き出しはこう。
帰りなんいざ、田園まさにあれんとす、なんぞ帰らざる(さあ家に帰ろう。田園は手入れをしていないので荒れようとしている。今こそ帰るべきだ)
歴史に残る名文として知られるこの決意表明は通しで読んでいくと非常によい心地がするのだが、今のいて座にとって特に重要と思われるのは以下の一節でしょう。
帰りなんいざ。請ふ交りをやめて以て游(あそび)を絶たん。世と我と相遺(あいわ)する、またがしてここになにをか求めん。親戚の情話を悅び、琴書を楽しみ以て憂ひを消さん。(さあ家に帰ろう。どうか世人との交わりをやめたい。世間と私とは、お互いに忘れあおう。再び仕官して何を求めようか。家族のまごころのこもった話を聞いては喜び、琴を演奏し書物を読み楽しんで、憂いを消すのである。)
嫌々仕事をするほど、人生は長くはない。自分のこころをいきいきとさせてくれる“自然”は一体どこにあるのか。そのことを今週はよくよく噛みしめていくといいかも知れません。
いて座の今週のキーワード
誰か何かに祝福されて在ること