いて座
勝ち逃げとその布石
峠を何度も越えていくために
今週のいて座は、300年前の大山師のごとし。あるいは、山を張ることをごく当たり前に習慣として割り切っていくような星回り。
勉強のコツとは別に、試験のコツというのがあって、その極意は「山を張る」ことにあり、本番に強い人間というのは往々にして「山を張る」ことに長けているもの。
丘よりもさらに高く盛り上がって、苦しい「峠」を何度か越えると、それが「山」になっていく訳ですが、そうやって自然に到達した場所にたまたま金や銀の鉱脈が見つかるというのではなく、はじめからそれを狙って大胆な予想をし、思いきった手段に出ることを「山を張る」とか「山が当たる」といい、それを自分の習慣にしてしまえるような人のことを「山師」という訳です。
芥川龍之介は小説だけでなく俳句も嗜む人でしたが、『続芭蕉雑記』の中で史上随一の大俳人である松尾芭蕉について「日本の生んだ三百年前の大山師だつた」と述べており、彼が俳諧という前衛芸術を確立しえたのも、山を張った成果だと言うのです。曰く、
芭蕉の住した無常観は芭蕉崇拝者の信ずるやうに弱々しい感傷主義を含んだものではない。寧ろやぶれかぶれの勇に富んだ不具退転の一本道である。芭蕉の度たび、俳諧さへ「一生の道の草」と呼んだのは必しも偶然ではなかつたであらう。
1月4日にいて座から数えて「社会的ビジョン」を意味する11番目のてんびん座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、この先を見通していくためにも、思い切って山を張っていきたいところです。
臆病であること、博打にでること
作家でギャンブラーの森巣博は、『賭けるゆえに我あり』の中でこう豪語しています。「博打で負ける奴はバカなのである!」と。そして博打の極意は「勝ち逃げ」であり、それしかないのだと。
ただし現実には、「勝っているのに席を立てない」人がほとんどなのだそう。これは実感としてもよく分かる気がします。本来、賭博というのは勝敗確率がほぼ50%、勝ったり負けたりするのが当たり前なのですが、一度勝つと「自分はもうちょっと勝てるはず」とつい思い込んでしまう。だからこそ、森巣は強調します。
臆病じゃないと、博打では生き残れない。同時に、リスクを冒さないと、やっぱり死んでしまう
これは先の「山師の心得」ということにも通じる話ですが、肝心なのは、そうした矛盾の荒海の中で、堅くなりすぎず、かといって浮かれもせずに、タイミングを見計らいつつ「顔が水面上に浮いた時に、現金を掴んで逃げる。脇目も振らず、ひらすら逃げる」こと。今週のいて座は、「山を張る」というのも、あくまでそうした瞬間のための布石なのだということをよく弁えていくべし。
いて座の今週のキーワード
逃げ時をうっかり見過ごさないこと