いて座
回路がひらく
指は道具以前の人類の夢を見るか?
今週のいて座は、夢の回路としての指のごとし。あるいは、偽りの快楽から本来的な快楽へと転回していこうとするような星回り。
エデンの園でアダムとイブがりんごをもぎ取って以来、女の指は男たちの見る夢への回路として長いあいだ機能してきました。
例えば、手持ちぶさたになった方の手で電話のコードを弄ぶ指であったり、タバコの煙をくゆらし口にくわえる指として。もちろん、今やそのどちらもが姿を消しつつあり、代わりに女たちの指はなにか別のものを探し始めているように見えます。
コードを弄ぶ指は媚態の比喩でありましたし、一方のタバコは女性の自立や自由を象徴するファッションのようでもありましたが、もはや現代のイブたちは、自分たちの手でリンゴをもぎとり、媚態やその反動の記号としての指を捨て去ろうとしているのではないでしょうか。
電子時代の道具たちは、次第に込み入った指の操作から離れつつあり、自由になった指は、新しい快楽を発見するための貪欲な旅の途上にあるはず。その果てにどんな光景が待ち受けているかはまだはっきりとは分からない。しかし、指だけを道具として用いるセラピストやヒーラーたちが今では熱いまなざしで見つめられていることを考えると、未来における指の光景は、道具を駆使するようになる以前の人類の後継へと加速度的に似ていくのではと思わずにはいられません。
その意味で、6月11日にいて座から数えて「生の実感」を意味する2番目のやぎ座へと「死と再生」を司る冥王星が戻っていく今週のあなたもまた、その指先でどんな夢を見ていこうとしているのか、改めて確かめてみるといいでしょう。
どうかしてしまった人たち
夏目漱石の小説『門』の冒頭には、主人公の宗助がゲシュタルト崩壊に直面して精神の変調と結びつける場面が出てきます。
宗助は肘で挟んだ頭を少しもたげて、「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。「何故」「何故って、いくら易しい字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分からなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違った様な気がする。仕舞には見れば見る程今らしくなくなって来る―御前そんな事を経験した事はないかい」「まさか」「おれだけかな」と宗助は頭へ手を当てた。
この後、宗助は細君に「あなたどうかしていらっしゃるのよ」なんて言われて、いよいよ居ても立っても居られなくなってしまうのですが、こうしたそれまでなんとなく無意識によりかかっていた意味の「かたち(ゲシュタルト)」が崩れ、単なるバラバラの線や記号の集合に変わってしまう現象はそう珍しいものでも、ネガティブなものでもありません。
というのも、それは例えば「今」という“感じ”がすべて言語的な記号に変換されてしまう事態への反動であり、生きているなまなましい実感への渇望の現われでもあるから。その意味で、今週のいて座もまた、どこかで固まりかけていた夢と現実、意識と無意識の境界線をゆるゆると解放させていくことになるかも知れません。
いて座の今週のキーワード
「おれだけかな」「そうでもない」「まさか」「ふは…」