いて座
瞑想的まなざし
静謐なる緩慢さを
今週のいて座は、『花見弁当いろんな犬の見て通る』(小川春休)という句のごとし。あるいは、おじいちゃん/おばあちゃんになったつもりで物事を眺めていくような星回り。
花より団子の花見会場には、いろとりどりの食べものがあり、それを通りがかった人間以上に、人間に連れられたいろんな犬が見ていくのだという一句。面白いのは、そんな特別ドラマチックでも面白い訳でもないであろう光景を作者がじっと見つめていて、そのまなざしがとても温かいこと。
一読して最初に浮かんだのは「末期の眼」という川端康成の言葉。死を前にした人間の眼には世界はことさら美しく見えるという意味で、もちろん掲句はそれほど厳粛な雰囲気を漂わせている訳ではないですが、普段ならまず目にも留めないようなことへ静かに視線を遣ってじっとしているその様子は、どこか晩年の川端その人のようでもあります。
こうした「緩慢さ」や「スローさ」というのは、占星術では土星が象徴し、困難や障害をあらわすとされていますが、一方で、深い成熟や芸術的な創造性の源ともされています。
4月6日にいて座から数えて「広い視野」を意味する11番目のてんびん座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、いつもとは異なる仕方で、些細でなんでもないような事柄にまなざしを向けていくべし。
遠回りすることだけが効果をあげる
シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』の「注意と意志」という章には、「求めている目的とは反対の結果を生むような努力がある」として、「いらいらのこうじた信心家、えせの禁欲、ある種の献身的行為など」といった具体例が付けられています。
これらは努力の目標であるものに、自分が従属してしまって囚われてしまっている訳ですが、ヴェイユはさらに「首尾よく目的にたどりつけなくても、つねに有用な努力もある」として「どうして、その見分けをしたものか」と自問した上で、こう答えてみせるのです。
おそらく、先の努力には、自分の内部の悲惨さを認めぬということが伴っているのだろう。あとの方の努力には、あるがままの自分の状態と、自分の愛するものとのあいだの隔たりにたえず注意を集中しているということが伴っているのだろう
つまり、分かりやすい報いをあまりに求めすぎているような努力、悲惨な自分の現状を偽ろうと躍起になっている努力は「よくない求め方」であり、愛するものとの隔たりにきちんと自覚が伴っているような努力だけが「有用な努力」なのだということ。
今週のいて座もまた、望むものをすぐさま抱きしめようとする代わりに、あえてゆっくりと突き放して瞑想の対象としていくつもりで過ごしてみるといいでしょう。
いて座の今週のキーワード
末期の眼