いて座
気づいたらやってた
春に代わってお詫びよ
今週のいて座は、『春寒の無礼を別の人が詫びる』(中山奈々)という句のごとし。あるいは、考える間もなく誰か何かと自分を重ねてしまうような星回り。
「春寒(しゅんかん)」とは、春になったはずなのに、なおも残り、あるいは唐突にぶり返してくる寒さのこと。その無礼とさえ感じさせる春という季節の不調法ぶりを、春に代わって私(作者)が勝手に詫びると言っているのでしょう。
とんだ余計なお世話だし、だいいち普通の大人であればそんな勝手がまかり通るなどという発想すら持たないはずですが、作者はそれを句に詠んでまで押し通してしまう。それはまるで言いだしたら聞かない駄々っ子のようでもあり、はたまた覚悟を決めた武士のようでもある。
可能か不可能か、そもそもなぜ自分が謝らねばならないのか、といった逡巡や迷いはここにはありませんし、何なら春という季節と自分との境い目もなくなってほとんど重なってしまっています。だとすると、やはり掲句は朝まだ寝ぼけたままの子供による不意のつぶやきのようなものなのかも知れません。
27日にいて座から数えて「他者」を意味する7番目のふたご座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、いつもなら距離をあけて構えがちな相手にもむしろ一足飛びで向かっていくような勢いが出てきやすいでしょう。
村上春樹の「コミットメント」
『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』のなかで、村上は自身にとって転換点となった『ねじまき鳥クロクニル』について、「コミットメント」とか「取り戻す」いうことが関係しているのだと語っています。
コミットメントというのは何かというと、人と人との関わり合いだと思うのだけれど、これまでにあるような、「あなたの言っていることはわかるわかる、じゃ、手をつなごう」というのではなくて、「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、僕は惹かれたのだと思うのです。
この本の別の箇所で、河合隼雄は「昔の夫婦というのは、ただいろいろなことを協力してやって、それが終わって死んでいって、それはそれでめでたしだった」けれど、「いまは協力だけではなくて、理解したいということになってきている」と述べた上で、「理解しようと思ったら、井戸掘りするしかしょうがないですね」と言っています。
たぶん、そういう「井戸掘り」というのは、「よし、掘るぞ」と思って能動的に掘っていくというより、気付いたら掘り始めていて「あれ、このまま掘っていったらどうなるんだろう」とか、不安になったり、怖気づいたり、どこか嫌になってしまったりしているものなのではないでしょうか。大抵の人はそこで投げ出しますし、それはその人が悪い訳ではない。けれど、まれにそのまま掘り続けてしまうという事態がある。
今週のいて座もまた、そんな井戸掘りにいつの間にか精を出している自分に気付いて、不思議な気分になっていくかも知れません。
いて座の今週のキーワード
誰かとのあいだで「井戸」を掘っていこうとすること