いて座
退屈な調子はもういい
グルーヴということ
今週のいて座は、日本の伝統的な生命リズムとしての「五七調」のごとし。あるいは、今という時代だからこそ、そこに乗せていくことのできる感受性の“ありよう”を模索していこうとするような星回り。
1960年代から70年代初頭にかけて学生が主体となって行われた全共闘運動について、哲学者の山折哲雄が戦後民主主義への批判や異議申し立てという文脈とは外れたところで、かつてこんなことを書いていました。
全共闘運動というのは、五七調とか七五調とかいうリズムを破壊するための運動だったのかもしれない。「短歌的抒情」を全面的に否定するための無意識の叫びであったのだろう。(中略)「政府の……」とか「日本国家は……」とか「大学教官たちの……」とかのかれらの演説調の言葉が、その字数のいかんを問わず、すべて五五調にのせられて発音されていたからである。(『歌の精神史』)
一方で、山折は1987年に俵万智の『サラダ記念日』が歌集としては異例の大ヒットを記録したのは、そんな「灰色の五五調の退屈さ」に飽き飽きしていたところに「われわれの意識下に眠らされていた五七調というリズムをあらためて気づかせ」「和歌の伝統的な生命リズムがそれを触媒にして快く刺激された」からではないかとも述べています(1987年はバブル元年でもあった)。
その意味で、1月23日にいて座から数えて「自分なりの流儀」を意味する6番目のおうし座で約5カ月間続いた天王星の逆行が終わって順行に戻っていく今週のあなたもまた、現に飽き飽きしている流行シーンとは対極のところに、改めて様式美を見出していくべし。
自分自身を目的地とした旅
自分自身と仲直りするために、人はしばしば旅に出ます。そしてそういう旅に、ほんらい目的地は要りません。自分自身が目的地だからです。例えば、池澤夏樹がナイルやギリシャへの旅から帰ってきた後、1982年に刊行した詩集『最も長い河に関する省察』もまた、そうした旅の記録であると同時に、自分自身の魂のあり様をめぐる省察にもなっています。
ギリシャの山野を自転車で駆け抜け、わけのわからないナイルをどこまでも遡行し、「たとえば砂漠が匂わない」ことを発見する日々のなかで、詩人は毎日どこかに座り込んでは黙々とことばを磨いていたのでしょうか。
日々の決算は就寝と共に済み
翌日は新しい荷だけを載せて
彩雲の中に帆を張って現れる
聖なる驢馬がその到来を告げ
冷たい磁器の薄明がひろがる
(輪行記)
五行すべてが能動態の動詞で終わるこの一節は、詩人がことばとともに熟していった証しであり、新たな生きる理由ともなっていったはず。同様に、今週のいて座もまた、どこかで自分が体験してきた魂の行き来や人生のアップダウンを、自分なりのやり方で表現していこうとしているように思います。
いて座の今週のキーワード
SNSでバズったり、フォロワーが増えたりしなくていい