いて座
タゴールとドラえもんと私
ドラえもんの存在理由
今週のいて座は、押し入れで真顔でいるドラえもんのごとし。あるいは、これさえ実現できればもういつ死んでもいいと思えるような任務を思い出していこうとするような星回り。
ドラえもんとは何か。それは、主人公である野比のび太の遺した借金が多すぎて、百年たっても返しきれない孫のセワシ君が、元凶であるのび太の運命を若年に遡って変えるべく、未来から現代に送り込んできたロボットである。
したがって、ドラえもんがなすべき任務は、のび太の悪い運命を変えることであり、そのための援助をすることである。しかし、ここで1つ問題が出てくる。ドラえもんが無事にその任務を遂げた場合、セワシがのび太に受けた被害もなくなってしまい、セワシがのび太のもとへドラえもんを送り込んだ理由そのものが消えてしまう。そうなってもなお、ドラえもんは現在に存在し続けられるのか。また、やはり現に貧乏なセワシはその記憶ごと存在が抹消されてしまうのだろうか。
そう考えてみると、いずれにせよドラえもんというのは実に不思議な存在であるということがわかってくる。すなわち、ドラえもんというのは、今自分が存在している原因とその存在理由そのものを消し去ることがその存在理由である存在なのだ。
にも関わらず、当のドラえもんはと言うと、いつ自分の存在そのものが消えてしまうかもしれないという実存的不安を少しも気取られることなく、いつも能天気に暮らしているように見えるのだから、読めば読むほど謎は深まるばかりだ(単に課せられた任務を忘れているだけかも知れないが)。
同様に、18日にいて座から数えて「死への欲求」を意味する8番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、現にその実現へと近づいたり遠のいたりしているであろうみずからの運命について、改めて思いを巡らせてみるといいでしょう。
小さな葦笛のごとく
では、どうすればそうした運命や任務に思い当たっていくことができるのか。例えば、ベンガル出身の大詩人タゴールは、詩集『ギーターンジャリ』の中で次のようなことを書いていました。
あなたは私を限りないものにした。それがあなたの楽しみなのだ。この脆い器を、あなたは何度もからにして、またたえず新鮮な生命を注ぎ込んだ。この小さな葦笛を、あなたは山や谷に持ち回り、永遠に新しいメロディーを吹いた。あなたの手の不死の感触に、私の小さな心臓は喜びのあまりに限度を失い、言いようのない言葉を叫ぶ
すなわち、自分というものを、特定の感情や記憶を‟持っている”存在としてではなく、何か大きなもの(「あなた」)から、それらを‟あずけられている”存在として見なすことができた時、私たちはもしかしたらタゴールやドラえもんと同じ境地に立っていくことができるのかも知れません。
自分を「からっぽの器」だと観じて、そこに充ちているものの来し方行く末を想うこと。今週のいて座は、そういう仕方で自身の今後の身の処し方ということも考えてみるべし。
いて座の今週のキーワード
こんなこといいなできたらいいな/あんなゆめこんなゆめいっぱいあるけど/みんなみんなみんなかなえてくれる/ふしぎなポッケでかなえてくれる