いて座
冗談から真実
秋天の巨木と一輪の朝顔
今週のいて座は、『秋天や最も高き樹が愁ふ』(木下夕爾)という句のごとし。あるいは、小さな思想運動の実験室を開いていくような星回り。
「樹が愁(うれ)う」とありますが、それはほとんど作者の思いそのものと言っていいでしょう。秋の空は単に高く大らかなだけではなく、「もののあはれ」を誘うものでもある。
ただそもそも、自分自身を自然のディテールの1つとしてそこに身を潜ませるということは、自分自身が逆に自然の総体として拡大していくことでもあって、作者の場合も後者のベクトルの極大化の果てに、ある種の宇宙的な悲しみを見出したのかも知れません。
そうした「愁い」は無意識的な感性として、この森林列島に住む人びとのなかに昔から備わってきたものだと思いますが、それを改めて意識化して、ひとつの思想として縮小された姿が「最も高き樹が愁ふ」であり、それを「秋の空」と取り合わせたこの句なのです。
そう考えると、咲き乱れた朝顔の美しさの噂を聞きつけた秀吉が、いよいよ訪ねてくることになった当時の朝に、庭の朝顔をすべて摘み取り、一輪だけを茶室に飾って出迎えた千利休という人物は、まさにそうした「意識化」のシンボルであったのだと言えます。
10日にいて座から数えて「自分の存在の発見、創造」を意味する5番目のおひつじ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした極小へと向かう美意識のもと、何らかの対象にエネルギーを凝縮させていくべし。
利休の茶室
侘びといい、寂びといわれる、日本古来の美意識の先入観が、きっと利休が出てきたときにペロリとめくれたのではないでしょうか。
歪んだり欠けたりした茶碗を、利休たちが「いい!」なんて言いだし、面積をわずか2畳までに究めた極小の茶室をつくって喜んだりしているうちに、先入観が打ち壊されて、中からまったく新しい、それを見る自分が飛び出してきた。
すなわち、ズレたものや見捨てられたもの、無用なものや用途が分からなくなったもの。そうした人々の意識の外側にあって、人びとの恣意をこえて鮮やかなもの、それが改めて美意識の最先端として彼の手先から躍り出てきたのであり、それは瓢箪から駒ではないですが、ある種の冗談から出たまことであった。
その意味で、掲句の「愁い」や「もののあはれ」というのも、作者が目の前の風景のうちに見出したものであると同時に、利休の茶室の床下から湧いて出たものでもあったのだとも言えるかもしれません。今週のいて座もまた、利休くらいのスケール感と大胆さで実験を行っていきたいところです。
いて座の今週のキーワード
人びとの恣意をこえて鮮やかなもの