いて座
ものみな冴えて凍りつく
秋のもたらす残酷さ
今週のいて座は、『水澄みて長き藻のその汚れよう』(岩田由美)という句のごとし。あるいは、残酷な現実を淡々と見つめていこうとするような星回り。
秋になってくると気温が下がってきて、なんとなく水も澄んで見えてきます。そしてこの「水澄む」という季語はいつだって秋という好季節が到来した喜びや、その静けさの深まりなど、なんとなくいい気分を含んで使われてきたように思います。
ところが、掲句はこの季語をそうした心地よさの延長線上で使うという、暗黙のうちに踏襲されてきたお決まりのパターンを破っており、いい気分はここには一切ありません。
作者は澄んだ水の中を眺めている。澄んだ水の奥には藻があり、水流にたなびいている。さらに凝視していると、その藻には長年のうちに溜まった澱(おり)のようなものが付着して、薄汚れていることが分かってくる。
ものを見る目が冴えてくるということが、こんなに恐ろしく感じられてくるのは、おそらく私たちがどこかで見られることの暴力性に敏感になっているからでしょう。人との距離が縮まったり、多くの人と共に過ごしていたりすれば、どうしても見ることの暴力性から免れ得ない瞬間が出てきてしまう。特にSNSなどで素性や本音を隠すことが難しくなってきた現代では、その残酷さはいよいよ増しているのではないでしょうか。
9月26日にいて座から数えて「コミュニティ」を意味する11番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした見る/見られることの残酷さを美辞麗句や理想主義で覆い隠すことなく、そっと受け止めていきたいところです。
「まさか」や「もしも」の正体
もしあなたが自らの存在価値と、思い定めている方向性を少しでも信じているのなら、いまは前へ前へと進んでいくことよりも、立ち止まって心のどこかで引っかかっている気がかりや胸のつかえと、きちんと向き合ってみることの方が大事かも知れません。
「まさか」の瞬間はいつやってくるか予想がつきませんし、自分だけは例外だと考えて「もしも」の時への備えを怠る者は、肝心なところで運命にいたずらされ、裁きの俎上にのせられてしまうものです。
この先も心の奥底で暗い不安をずっと膨らませていくくらいなら、いっそここらで思い切って「まさか」や「もしも」の正体を突き止め、不要な不安を消し去っておくのも悪くない選択でしょう。
今週のいて座は、自分の頭や心のなかの考えや感情が、みずから抱いたものなのか、いつの間にか誰かに抱かされていたものなのか、しかと見極めていくつもりで過ごすべし。
いて座の今週のキーワード
詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとうのことを、かくという行為で口に出すことである(吉本隆明)