いて座
社会を抜けた先にあるもの
生き延びた人の体験談
今週のいて座は、『平日の浜辺秋の来てゐたり』(矢口晃)という句のごとし。あるいは、「社会」の外側に「世界」が広がっているということに改めてハッとさせられるような星回り。
「平日の浜辺」という視点の置き方が絶妙な一句。考えてみれば、浜辺を訪れるのは決まって人びとで賑わう休日や連休期間中であり、ひっそりと静まっているだろう「平日の浜辺」など存在することすら疑わしい。
けれど、それは確かにこの世に実在した。いつも通り動き続けている世間の動きからは外れてしまった「平日の浜辺」を訪れた作者は、まるで何かの拍子に自分だけ世界の裏側にまわってしまったような心許なさを感じたはずですが、同時にそこで「秋の来てゐた」ことを知るのです。
その意味で、この句は「社会」の内部での生きづらさに押し出されてしまった挙句、「もうおわった」と不安と抑うつですっかり身の回りの色を失ってしまっていた者のもとに、さざ波のように鮮やかな景色が打ち寄せ、生き返ったときの情景とも言えるのではないでしょうか。それは自然の美しさに心が洗われるような定型的な感動などではなく、ぎりぎりのところで生き延びた人のなまなましい体験談のようなものに近いのかも知れません。
同様に、9月4日に自分自身の星座であるいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、社会の覆いを突き抜けたところにある生きた実感をあずかり受けていきたいところです。
絶望してこそ生き延びられる
当時23歳だった作者の北条民雄が実際にハンセン病施設の全生病院に入院した最初の1日の出来事を材料に書かれた『いのちの初夜』という小説があります。
それまで自由に行動していた主人公の尾田は、入院とともに社会での足場を失い、身体が変形し、崩れ落ちたかのような重症患者の姿を、みずからの未来を先取りするものとして見せつけられたことで、絶望が一挙に押し寄せ、自殺を企てるものの失敗します。そして、そんな尾田の挙行の一部始終をじっと観察していた先輩患者である左柄木という人物が、尾田に対して次のように語りかけるのです。
僕思ふんですが、意志の大いさは絶望の大いさに正比する、とね。意志のない者に絶望などあらう筈がないぢやありませんか。生きる意志こそ源泉だと常に思つてゐるのです。(中略)尾田さん、きつと生きられますよ。きつと生きる道はありますよ。どこまで行つても人生にはきつと抜路があると思ふのです。もつともつと自己に対して、自らの生命に対して謙虚になりませう。
今週のいて座もまた、絶望を終点とするのではなくむしろ始点とすることで、人生の抜け道を探っていくつもりで過ごしてみるといいでしょう。
いて座の今週のキーワード
尾田さん、きつと生きられますよ。きつと生きる道はありますよ。