いて座
淀みを糧に
情のもつれ
今週のいて座は、『麦笛や四十の恋の合図吹く』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、あえて現実の生々しい側面にみずからを投げ入れていこうとするような星回り。
「麦笛(むぎぶえ)」とは、麦の茎を細工して笛のように吹けるようにしたもののことで、青青とした麦の穂が並んで揺れる初夏の季語。
この句が詠まれたのは大正5年ですから、当時の「四十」と言えば現代の感覚で言えば50やもっと上の初老と言っていい年代に当たるのではないでしょうか。いずれにせよ、麦笛を吹く方も、その相手も、もう決して若くはありませんし、付け加えて言えば作者もまた当時42歳の同年代でした。
麦笛という間接的な合図が暗示するのは、それが大っぴらにできるものではないからで、そんな関係を「恋」などと小綺麗な言葉であらわしてみせたのは、作者なりに歌となるかならないかのギリギリのところを攻めた一句だったのかも知れません。
作者は小説家のみならず、俳人としても、ただひたすらに「客観写生」という道筋を謹厳に指示していったばかりでなく、その一方で、こうした色恋をふくめた情のもつれから決して目を離しはしませんでした。
同様に、6月21日にいて座から数えて「しがらみ」を意味する8番目のかに座に太陽が入る夏至を迎えていく今週のあなたもまた、否応なく目が向き、心がうかがってしまう人間心理の暗がりにみずから近づいていきやすいでしょう。
血によどんでいるもの
世阿弥が使ったといわれる「阿古父尉(あこぶじょう)」の面など、能関係の品物が多く奉納されている奈良県の天河神社の境内の句碑には、『能の地の血脈昏き天の川』(角川春樹)という一句が刻まれているのですが、ここで読者はそういう由緒正しき場所に、作者はなぜ「昏き血脈」というイメージを重ねたのかと疑問に思うかもしれません。
ただこれは、そんなに難しい話ではなくて、長い歴史が積み重ねられていれば、そこには必ずバイオレンスとエロティシズムが存在するのだという作者の直感が働いた結果でしょう。
その点、私たちはみな誰しもが、親や祖父母といった肉体上の血脈にしろ、自分がしている仕事の業界だったり属している流れの系譜にしろ、世代間の蓄積の上に立っている訳で、さかのぼれば必ず昏い部分に突き当たっていくはずです。
今週のいて座はそういう部分に目を背けたり覆い隠すのではなく、むしろ血脈によどんでいるバイオレンスやエロティシズムに感応していくことで、マグマのような熱いものを自分の内側から溢れさせていくことがテーマとなっていきそうです。
いて座の今週のキーワード
芸術には、すべてを通じて、血統というものがある(エッカーマン)