いて座
不定形な関わりをよしとする
触覚的知性
今週のいて座は、オジギソウの触覚のごとし。あるいは、視覚でも嗅覚でもなく触覚で他者や物事を判断していこうとするような星回り。
とても繊細でシャイな人のように、軽く触れると葉を閉じるオジギソウは、機械的な条件反射でそうしているのではなく、明らかに自覚的な活動として葉を閉じたり開いたりしているのだそうです。
この点については、いまだに学者のあいだでも議論が続いているそうですが、ひとつ確かなことは、オジギソウは身を守るために極端に触覚を進化させてきたということであり、例えば手でさわれば閉じる一方で、水にぬれたり風に揺られるだけでは葉は閉じないなど、刺激の種類を区別する能力を持っているということです。
つまり、ある刺激が危険ではないと分かれば葉を閉じないのであり、生物学者のラマルクは馬車にオジギソウを乗せて観察するという前代未聞の実験を通して、はじめは馬車の揺れで葉を閉じていたオジギソウが、次第に葉を開いていったことに気が付き、彼らがその触覚から得た情報を精査し、判断していくだけの一定の学習能力さえ有していることを発見したのです。
現代社会というのは、歴史を通して人間がもっとも触覚を使うことなく生活することが可能となった社会であり、すなわち、視覚とは対極的に触覚が見失われた時代であるとも言えるように思いますが、その意味で、30日にいて座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、触覚を働かせられるだけの近しさや距離感を大切にしていきたいところです。
悦ばしい腐敗、土になりうる人間
この言葉は、奈良の里山で米と大豆と鶏卵を自給しながら他の生物と格闘しながら共生している東千茅の著書『人類堆肥化計画』の出版記念トークショーの副題であり、対談相手の吉村萬一の言葉を借りれば、「堆肥化とは異種とズブズブの関係になること」を指すのだそうです。
著書によれば、人間が堆肥になるための3つの要素として、「①扉を開く、②寝転ぶ、③甘やかす 」が挙げられ、これはすなわち①感性の解放、②人間が余計なことをしないことで異種の生物がしてくれる、③そして進んで異種に利用される、ということらしいのですが、そこには一介の生きものとなり果てて、比喩などではなく文字通り地べたを這いつくばり、どうしようもなく生きて、どうしようもなく死ぬという、東の腹の据わった覚悟と触覚的知性が通奏低音のように流れているのが感じられるはず。
いわく「共生とは、一般にこの語から想起されるような、相手を思いやる仲睦まじい平和的な関係ではなく、それぞれが自分勝手に生きようとして遭遇し、場当たり的に生じた相互依存関係」であり、「里山は、歪(いびつ)で禍々しい不定形の怪物」なのです。
同様に、今週のいて座もまた、そうした里山的な関係性のなかで、どれだけ自分を堆肥化していけるかということがテーマとなっていくのだとも言えるかも知れません。
いて座の今週のキーワード
多様な異種とズブズブの関係になること