いて座
風穴をあけていく
意味の過剰さを整える
今週のいて座は、意味の非人間性を突きつけてくる自然のごとし。あるいは、不気味さに出会ってどこか安心していくような星回り。
意味の生きものである人間は、ついあらゆることに合理的に説明がつき、自分を納得させてくれるような意味が必ずあるものと考えてしまう傾向があります。
例えば進化の過程にしても、「適者生存」のように目的論的に理解しようとし、あくまでよーいドンで行われたフェアプレーの結果だと思いたがるところがありますが、実際には私たちが想像しているよりもずっと理不尽で、偶然に左右された結果かも知れませんし、それは人生を勝ち負けという視点で見た場合にも同じことが言えるように思います。
しかし、人間はまったく意味のないところでは生きられない一方で、自分で作りこんだ意味だけでも生きていけません。つまり、常識的な因果関係の枠組みを、時おりひょいと飛び越えてやってくる意味の分からない意味を、望んだわけでもないのに掴んでしまう瞬間があって、そのことに驚き、戸惑うと同時に、どこかでそれで笑えてきたり、さわやかな気分になったり、なぜだかホッとしたりする。
たぶん、占いが“当たる”ように感じられる瞬間というのも、そうした意味の分からない意味みたいなものが外部からやってきては、ガチガチに固まっていた意味の組成をやわらげ、生きづらさを軽減してくれるタイミングに他ならないはず。
そして4月9日にいて座から数えて「自我の解体」を意味する8番目のかに座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、意味の非人間性としか言いようがない事態にどうしたって突き当たっていきやすいでしょう。
廃墟からこんにちは
例えば、日本最古の歌集である『万葉集』というと、すごく素朴でひなびた世界がのびのびと書かれているんじゃないかと思われがちですが、実際には全然そうではありません。
天皇中心の中央集権国家を建設すべく大化の改新を起こした中大兄皇子(天智天皇)が遷都した大津宮も、壮絶な内乱であった壬申の乱(672)のため、たった5年しか使われませんでした。作っては棄て、作っては棄てで、残された都には敗者の怨念が残った訳です。
そしてそこに登場してきたのが柿本人麻呂(645頃~710頃)で、彼はそうした怨念を慰め、鎮魂するための「文学」として、和歌の形式を確立していったんです。したがって、人麻呂の根底にあるのは、せっかく苦労して築き上げた都市文明が無惨にも壊れてしまったという、意味の非人間性の決定的な訪れであり、日本の文学の源流は野生や野蛮からではなくこうした喪失の感覚から始まっているんですね。
その意味で、今週のいて座もまた、不快でネガティブな事実を受け入れ、これまでの考え方ややり方を崩して失っていくことが求められているのだと言えます。
いて座の今週のキーワード
喪失の感覚の深まり