いて座
自分の土俵に立つということ
静けさのなかの一瞬の動
今週のいて座は、「目高浮く最中へ落る椿かな」(溝口素丸)という句のごとし。あるいは、身近で当たり前になりつつある場所への解像度をグッと上げていくような星回り。
春になれば水がぬるみ、水がぬるめば「目高(めだか)」が浮かぶ。そこへ突然落ちてきたのが椿(つばき)の花。のんびり泳いでいたメダカたちは、ぱっと一目散に散っていったにちがいない。
詠まれた景色のスケールはごくごく小さく、雄大な自然のなかのささやかなワンシーンに過ぎないはずなのに、決してそう感じさせないのは、掲句が静けさのなかの一瞬の動を鋭く捉えているからだろう。
同じことは俳句だけでなく、小説や映画、Youtubeであっても通底する話で、ダイナミックな作品を作るのに、必ずしも舞台となるロケーションやタイムスケジュールの大きさは必要ないのであって、それよりも作り手がそこで起きている出来事の機微をいかに的確に捉えられるかどうかにかかっているのではないか。
3月3日にいて座から数えて「自分の土俵」を意味する4番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、あれもこれもよ欲張るのでなく、ささやかであっても自分の土俵といえる場所にきちんと目を向け直していくべし。
年齢の織りなす土壌と断層
やはり俳人に限らず、芸術家の世界ではよく言われるように、若いころにつくった初めての作品の中に、後年に開花していく才能の芽が端的に現れていることがしばしばあります。
それは誕生から死までほとんど変わらない一粒の種子が、同時に人生全体を貫くようなコアを成しているように、人の本質はそうそう変わることがないということを我々に教えてくれるよい例でしょう。
特に子どもというのは、世知に欠けるがゆえに、経験より想像力に頼るため、その時期に「何を作りだしたか」が、良くも悪くも深くその人の本質を形成してしまうのです。
年齢を重ねると様々な経験は身に付きますが、かえってみずからの想像力の原点を見失ってしまう、という側面もあるはず。
その意味で、今週のいて座の人たちは、さながらそうした年齢に応じて重ねた土壌から突如隆起し、地表にむき出しになった断層深部を発見していくように、かつての自分自身や幼い頃の記憶、すっかり忘れていた自分との約束などがよみがえってくるかも知れません。
いて座の今週のキーワード
時を得て種子は芽吹く