いて座
器をいったん空にする
二つの異なるあきらめ
今週のいて座は、残忍な神に対峙したヨブのごとし。あるいは、あきらめからあきらめに移行していくような星回り。
ヨブは富める者、すなわち金持ちであり、子供たちにも恵まれ、確かな友人もおり、その人生はすべてが順調で、しあわせであった。しかし突然、彼は貧乏になり、病気になり、人びとから見捨てられてしまいました。
現代人はこれをあまりに理不尽な話だと感じることと思いますが、ヨブにとっては当然のことのよう見えていました。というのも、ヨブの生きた世界では、この宇宙はわれわれ人間よりもはるかに力の強く、ひとりの人間がいくら決意をもって対峙し、訴えようとも、びくともせず、何ら変更できないものであったからです。
そこではこの世界はすべて、ただ一つの意志から始まり、人間の精神はまだ眠っており、そこにはただただ圧倒されるだけの、あきらめだけが残されていたのだと言えます。
しかし、ヨブは自分にあきらめること、つまり自分にすべての原因があったのだと認めるように忠告してきた友人の勧めに反して、唯一の神、残忍な神を拒絶しました。その根底にあったのは、精神の目覚めであり、あえてやる力の発動であり、自らを救ってくれるのは自分しかいないのだという、これまでとは別種のあきらめに他ならなかったように思います。
同様に、27日にいて座から数えて「強大な支配原理」を意味する10番目の星座であるおとめ座で下弦の月(気付きと解放)を迎えていく今週のあなたもまた、みずからの身に重くのしかかっていた呪いをくみほどいていくことがテーマとなっていきそうです。
間を空ける
内面に沈黙をつくりだし、いっさいの欲望、いっさいの意見に口をつぐませ、愛をこめ、たましいのすべてをあげ、言葉にはださずに、「みこころの行われますように」と思いをつくすとき、次にこれこそどうしてもしなければならぬことだと、あやふやさの一点もなく感じられることがあったら、(もしかすると、ある点では、これも思い違いかもしれないのだが……)それこそ、神のみこころである。(『重力と恩寵』、シモーヌ・ヴェイユ、田辺保訳)
人間が「神」のみこころそのものを完全に知ることはありませんが、祈りにおいて個別的な事柄や思惑を頭の中から祓われていくということ可能です。
少なくとも、どんな行動、あるいは態度を選択していくべきかをはっきりさせていくことはできるのです。ヴェイユの言うようにじっと目をこらして、観察し、自分に問いかけることを怠らなければ。それが今週のいて座のテーマである「あきらめ」をみずからに引き起こしていくための要点なのだとも言えるかも知れません。
いて座の今週のキーワード
自分を支配しているのは自我か、何か別のものか