いて座
まずはちょっと外をのぞいてみる
シャーマンにはなれないけれど
今週のいて座は、「羽もなく鰭もなく春を待つてをり」(藤井あかり)という句のごとし。あるいは、待つことの楽しさを知っていくような星回り。
わたしの背には鳥のような羽もなければ、魚のような鰭(ひれ)もない。別の世界へ行く力はないのだ。だから、まだ寒さの残るこの場所で、ただ春の到来を待つしかないのだ、というのが句意でしょうか。
しかし、そうは言いつつも作者の中には、かつて鳥や魚になった記憶やイメージが残っていて、それだけに今はそれが不可能であることをまざまざと突きつけられているようにも感じられます。
おそらくこれは松尾芭蕉の「行く春や鳥啼き魚の目は涙」を意識して詠まれた句なのではないでしょうか。ここでは過ぎ去る春とともに旅立つ我との別れを惜しむように、空で啼く鳥となり、水中で涙する魚となるといったように、互いが棲む世界を自由自在に相移相入していくシャーマニスティックな感覚が呼び覚まされていますが、掲句ではそれを空間的にではなく、時間のサイクルの中で実現しようとしているのかも知れません。
つまり、鳥や魚に今すぐはなれなくても、やがてこの場所に春が巡ってくれば、草木が芽吹き、鳥が訪れ、川にも魚が戻ってくることを作者は知っているのです。
その意味で、12日にいて座から数えて「生まれ変わり」を意味する3番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたのテーマもまた、下手に動き回るのではなくただじっと待つことで感じられる変化の豊かさに目を配ってみるといいでしょう。
船宿の遊び方
かつて日本各地で興行目的に建てられた木造劇場である「芝居小屋」の出入口というのは、もともとわざと小さく作られていて、茶室のにじり口も一説にはこの木戸口(芝居小屋の出入り口)が起源なのだとされています。
つまり、戸を後ろ手でしめて閉じこもってしまうと、そこに別世界が開けてくる。木戸口がにじり口の起源であるとする説の他には、船宿がそれだというものがあるのですが、こちらはより“浮気心のはかなさ”があります。
船宿の世界というのは、いっとき閉じこもることは閉じこもるけれども、ときどき外をのぞいたりするように出来ていて、そこに流れる景色がさっと心に入り込んでくる。完全な密室に自分を押し込めるというのとは違うからこそ「いき」な世界でした。
つまり、この「ちょっと外をのぞく」というところが大事で、例えばわき目もふらずに恋人にベターっとくっついて、一途になりすぎるのでは“軽み”も“遊び”も足りないとされました。それが江戸時代の美学だった訳です。
今週のいて座もまた、そんな船宿の世界のように、閉鎖的になりがちな心象世界にパッと通路を開放してさらさらと流動していきたいところ。
今週のキーワード
軽みと遊び