いて座
始まりとしての感動
鬼気迫るものを感じること
今週のいて座は、北原白秋の「肇国(ちょうこく)聖地の歌」のワンフレーズのごとし。あるいは、みずからを圧倒するような相手にスッと惹かれていくような星回り。
槵觸峯(くじふるたけ)や皇孫(すめすま)の/天降(あも)りましけむ址(あと)とめて/天つ磐境(あまついはさか)高々に/神籠(ひもろぎ)祀るこの斎庭(ゆには)
なにを言っているのかはよく分からない。けれど、ここに自国の神話とみずからの文学とを統合せんとする強烈な意志があることは、少なくとも伝わってくるはず。
もちろん、戦時下に国策として作られた歌への作詞ですから、何も感じないふりをして、これも無理やり作らされたのだという決まり句で片づけることもできるでしょう。ただ、声に出して読んでみればより明確に分かりますが、そういうことではないんです。
実際、意外にも窮屈な戦時下において思想研究や文学的探究は弱まるどころかむしろ強まり、丸山眞男にしろ三島由紀夫にしろ、戦後に花咲いていった思想家や文学者の出発点は戦時下においてこそ深められ、結晶化していきました。
鬼気迫る。アルファ波だとかリラックスするというだけではなくて、そういう強い緊張感こそがそれまで眠っていたものを、はげしく呼びさますことがあるのだと思います。
10月1月から2日にかけて、いて座から数えて「熱の放射」を意味する5番目のおひつじ座で特別な満月を迎えていく今週のあなたもまた、たとえ文脈も理屈も成り立っていなくても、これはと思ったことに強い情熱をもって賭けていきたいところです。
愛とは理解
作詞作曲であれ絵画であれ、芸術作品は感覚的に作られるもので、その場その場での感性によってしか説明できないものと誤解されがちですが、芸術を理解するには、その芸術が生み出された時代や背景をきちんと理解していかなければなりません。そしてその意味で、芸術にいちばん似ているのは、人間でしょう。
美術史の良質な入門書である若桑みどりの『イメージを読む』では、「人間を一目見ただけでその威厳や美しさに戦慄するのはよくあることです」と前置きした上で、次のように述べられています。
でもわれわれが戦慄したのは、その人間の目の光や、身振りや、いったことばやしたことのせいなのです。人間は外観であると同時に複雑な意味の発信体なのです。
確かに、美術品を愛でるコレクターが美術品が作られた時代や背景をうっとりと語るように、愛とは理解であり、理解したいと願うことは愛の始まりなのだと思います。
今週のあなたもまた、どこかでそうした始まりの予感に突き動かされていくことになるかも知れません。
今週のキーワード
戦慄迷宮