いて座
世界の歩き方とその変調
バスは来る時に来る
今週のいて座は、旧約聖書の「すべてのわざには時がある」という言葉のごとし。あるいは、これまでとは別の世界戦へと乗り換えていくような星回り。
昔、ユダヤの詩人は旧約聖書の『伝道の書』で次のように語りました。
天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。(3章-1)
この「時」に関する砂漠の民の感覚は、定刻通りに電車やバスが来て、会議が始まり、物事が動くことが当たり前な現代日本とはかなりの隔たりがあり、単に文化の違いで済ますことのできない奥行きがあるように思います。
一般的な時間の感覚とどこが違うのか。それは「わざ」のうちに「時」があるという感覚。時がものを運ぶでもなければ、時が人間を動かすでもない。時は一定の物差しでも、外からすべての存在をくくるものでもなく、むしろそれぞれの物事や人間の内側にある。これが彼らの感覚なのです。
だから、いつ運命の時がやってくるのか?と聞いたとしても、それはバスが時刻表の時間通りにやってくるように来ることはない。バスはバスみずからの時をもち、バスがそれ自身の時を運んでくるのであって、バスが来る時にバスは来るのだとしか言いようがありません。
17日にいて座から数えて「約束と合意」を意味する10番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、これまで当たり前だと思っていたやり方や過ごし方をいったん白紙に戻していくくらいのつもりでちょうどいいでしょう。
生活の速度を変えてみる
現代人は感覚が鈍くなったとよく言われますが、ひとつには交通インフラが人間の歩く速度を大幅に超えてしまっているということが本質にあるように思います。
その点、昔の人は皆とにかくよく歩きました。おそらく、場所から場所への距離感は同じでも、高速移動やハイスピードに慣れ、電車やバスや自動車の速度で物事を感じたり考えたりするのが当たり前になってしまった現代の人とは、時間感覚だけでなく「運命」のめぐり方の感覚そのものも違っていたのではないでしょうか。
今週は、徒歩には徒歩なりの思考があるということを、どうか思い出してみて下さい。そして普段とは異なる速度で身を動かしていくなかで、「迅速性」や「効率」といった都市的な価値観からこぼれ落ちていたものが不意に目に飛び込んでくるはずです。
今週のキーワード
生活速度と運命感覚