いて座
腑に落ちない自分を無視しない
「解る」とは何か?
今週のいて座は、「それをやらなければ生きていけないテーマ」を卒論で見つけ扱おうとする学生のごとし。すなわち、自分の体の奥底での納得を模索していくような星回り。
冒頭に挙げたような設定は、一言でいえば無茶であり、シニカルに言えば最初から実現不可能なことが分かっているイジワルです。
しかし例えそうだとしても、そのつもりでしばらくでも真剣に取り組んでいくと、一生それくらいのテーマを探し続けるという姿勢のようなものはできてくるのです。
もちろん、ある商品の値段や内容を知るくらいのレベルではそうはなりませんが、なにかを「解る」あるいは「解ろうとする」ということは、ただ知ること以上に人格にかかわってくる営みだからです。
そして、人格というのはある特定の感受性の働き方の癖付けであり、身体的な納得を通して初めて育まれるものなのだとも言えます。
5月11日にいて座から数えて「使い尽くせない資産」を意味する2番目のやぎ座で、土星の逆行(常識の反転)が起きていく今週のあなたにおいてもまた、自分が身体ごとぶつかっていきたいテーマとは何だろうか?という問いがムクムクと湧きあがってくるはず。
行間を豊かに
今週のいて座にもし何か追加で伝えたいアドバイスがあるとすれば、それは「本音を雑に扱わないように」という言葉に尽きるでしょう。
もし「真実はひとつ」などと安易に言ってのけて暢気にしていられる人がいたらある意味で簡単なのですが、とは言え「言いたいこと」と「言ってること」のギャップを常時適切に埋めていける人というのもほとんどいないはず。
特に現実が疲弊し荒んでくると、どうしても口をついて出る「言ってること」が「言いたいこと」まで縛り付けて、そのままバンドか何かで世界をぐるぐる巻きにして叩きつけたいような気持ちになってくる。
つまり、胸中に沈んでいる一片の真実や本音というものを無理やりありきたりな理屈や常識の枠内に押し込んで、見ないフリを決め込むうちに、本来その人に開かれていた可能性までもみずから閉じてしまうのです。
真実はいつも「言ってること」の行間にあり、それはテキストの外にある実際の行動や声の出し方や視線との結びつきの中にある。いて座の人たちには、今こそそういう感覚を研ぎ澄まし、みずから実行していってほしいと思います。
今週のキーワード
取りこぼされがちな感覚の断片を丁寧に拾い上げていくこと