いて座
今為すべきはあがくこと
見苦しさを超えていけ
今週のいて座は、「じたばた」という言葉のごとし。あるいは、解けない問いを前にしてただ状況に流されていくのとは別の在り方を模索していくような星回り。
じたばたという言葉は、何かしらネガティブな状態から逃れようと慌てたり、焦ったり、取り乱したりして、結果的に見苦しい様相を呈する際に使われ、ほとんどの場合「じたばたするべきはでない」などと否定形で用いられる。
しかし黙ってじっと耐え抜けば、思いきった転身を経ずともいつか事態は好転していくはず、といった日本人好みの信念は、変革期の歴史を振り返ればしばしば大惨事を招いてきた真犯人でもあり、そうした自己批判は今の時代状況においても有用だろう。
特に暗くうつむきがちな状況になるほど火がついてくるいて座の人たちにとって、誰もが「どうしてこうなったのか?」という解けない問いを突きつけられている今、それに囚われて立ち止まってしまったり、じたばたするのは恥ずかしいと自縄自縛に陥っていくのではなく、むしろ解けないことについての実践をなしつづけ、そこで現われてきてしまう新局面を積極的に見ていこうとすることこそが、ますます大切になっているのではないか。
15日にいて座から数えて「等身大の自分」を意味する2番目のやぎ座で、下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自己プロデュースで実体以上に増大させてしまったセルフイメージを脱ぎ捨て、今こそ思いきり泥臭くじたばたしてみたいところだ。
戦略的半妥協
「他人の視線に刺される」という感覚や「世間の目に肝を冷やす」という経験は、それを本当に体験した人にとってまさにトラウマ級の衝撃を与えるし、思った以上にいつまでも引きずってしまうことがあるもの。
特にこの国では、人生のいたるところで「おまえはひとりで生きているのではない」というご高説を脳裏に刻み込まれるので、「みんなのお陰で生きていられる」という思想が蔓延し、それが裏返って「みんなに好かれ、受け入れられないと生きてはいけない」という悩みの種となってしまう。
こうした世間からのごうごうたる攻撃(という被害妄想)から逃れるため、‟いさぎよく”仏門にでも入って出家したり、友達もパートナーも作らないんだなどと決め込んだりしてはかえって逆効果だろう。
フツーに暮らして、何者でもない自分を受け入れて、肩の力が抜けてきたところで、世間や周囲から「あいつなら、まあ、仕方ないか」と見逃してもらうようになるのが、「じたばた」の落ち着く先としては妥当なのではないだろうか。
今週は、世間や周囲の誰かとムキになって戦うのをやめて、「戦略的半妥協」とでも言える戦い方を実践していくことをテーマにしていきたい。
今週のキーワード
泥試合