いて座
異国からの風が吹く
内なる異国
今週のいて座は、「地獄絵の女は白し秋の風」(武藤紀子)という句のごとし。あるいは、思いがけなく血沸き肉躍っていくような星回り。
秋風は、時に驚くべきものを遠くから運んできます。この句もまた、ただ美術館などで地獄で罪人が呵責にあるところを描いた「地獄絵」を眺めて詠んだものではないでしょう。
どこか名もない寺の裏の白壁あたりに書き込まれた陰惨な走り書きを見かけ、それを地獄絵に見立てて詠んだのではないでしょうか。
例えば、「地獄草子模本」では裸の男が白い肌の裸の女ににじり寄ろうとしている場面が描かれていますが、そのすぐ下には一転して赤黒い鉄の肌に変化し鬼と化した女が、火をまとって男に喰らいつき、四股を噛み砕いている姿が描かれています。
地獄が暴力に満ち溢れた世界であることはよく知られていますが、よくよく見ていくと、その破壊の衝動に沿うような形で必ず性的な欲動(エロス)が描き込まれ、その2つは渾然一体となって地獄のイメージ世界を構成しています。
かつて、フロイトは日常の現実世界のことを「外なる異国」と言い表しました。
私たちがその欲求を果たすためにはある程度の我慢を必要とし、どんなことも簡単には思い通りにいかず、不慣れさを余儀なくされることを外国での生活に重ねてみせました。
ただ、「異国」は私たちの心のなかにも存在し、それは地獄絵に描かれた「白い女」のように暴力やエロスといった原初的な欲望として、道徳性や正義感によって抑圧されながら誰の心の奥底にも宿っているはず。
今週のあなたもまた、掲句を詠んだ作者のように「内なる異国」から運ばれてくる風に当てられて、改めて自分の心の内をよくよく覗き込んでいくことになるでしょう。
風の音としてのビートニク
かつて松岡正剛はアレン・ギンズバーグの『吠える(Howl)』について、「ぼくが好きな詩とはいえないが」と前置きしつつ、次のように評していました。
「それは幻覚っぽくて前兆めいていて、ジャジーであって露悪的であり、反ヘブライ的なのに瞑想的で、夜の機械のようでも朝のインディアンのようでもあるような、もっと言うなら、花崗岩のペニスをもった怪物が敵陣突破をはかって精神の戦場に立ち向かったばかりのような、つまりはビートニクな言葉の吐露だった。」
おそらく、松岡にとってギンズバーグの詩はある種の「地獄絵」体験だったのでしょう。実際に、『吠える』は猥褻罪の科で刊行まもなく発禁になったことでも知られています。
地獄絵と彼のビートニック・ポエムに違いがあるとすれば、それは耳からその脈動が入ってくるという点。ですが言ってしまえばそれだけの違いに過ぎず、本質的には通底するものがあったように思います。
今週のキーワード
社会における抑圧的で非人間的な機能へのスクエア(反逆、拒絶)