いて座
通過儀礼としての禊ぎ
内面の大掃除
今週のいて座は、「五月わが部屋を光の箱にして」(細谷喨々)という句のごとし。あるいは、いまの自分に必要な禊ぎを果たしていくような星回り。
5月は夏の立つ月であり、天からは限りない明るさが差し、地に広がる緑には生命の充溢がこぼれんばかりとなる。当然、「拡大と発展」の木星に加護されている射手座としては、こちらもいよいよ攻勢をかけて、勢いを強めていきたくなるところですが、掲句同様、どうも一筋縄ではいかなそうなのが今のいて座の星回りの特徴と言えるかも知れません。
上の句は「五月わが」で、「五月」のところでいったん切れている訳ですが、ここは単に「わが部屋を」と続いていくと読む以外にも、「わが」から以下が省略されているものとも考えられます。
例えば、「五月わが最も愛する月よ」といった待望の季節への呼びかけが隠れているなど。もしそうならば、後半の「部屋」というのも単に客観写生をしているという以外にも、何かの比喩とも考えられる訳です。
占星術のサビアンシンボルなどでも、よく「家」や「部屋」が‟自我”や‟個人の内面”の象徴として登場しますが、掲句の場合も同じでしょう。そうなると、これはやはり外部に向けてエネルギーを解き放っていこうという句ではなく、まず自分の内側にある陰の部分や、たまっている汚れやほこりをどこか何かに照らし出してもらおうという話になります。
今週5日はおうし座で新月ですから、そこへ向けて物理的・社会的・精神的いずれかのデトックスに取り組んでいくといいでしょう。ただし、浄化のやりすぎにはご注意を。
外から自分を見つめていく
人間は「我」を消滅させまいとして、さまざまなことを行います。銅像を建てる人もいれば、本を遺す人もいるし、名を残すために善行を積んだり、逆に悪名を轟かす人もいるわけですが、そろいもそろって消滅することを恐れている訳です。
死ぬということは決してそう厭なばかりではないけれど、自分の消滅ということはみんな嫌なんです。ただ、それが嫌というだけで生きていると、今度は自分が生きているうちにすべきものが見えなくなっていく。これもまた、緩慢な消滅と言うべきでしょう。
「禊ぎ」というのも、生きているうちにすべきことを明確にするためなのかも知れません。自分が生きているその“内”側を“外”から見つめ直すための通過儀礼であり、だとすれば、やはりその道は往くも還るもただひとりでゆくべき道。
今週は、何かしら身辺整理をするつもりで過ごしていくこと。
今週のキーワード
光の箱