いて座
師と未知
認識を育てる
今週のいて座は、カスタネダの『呪術師と私』のごとし。あるいは、師を持つことの意義と価値を改めて実感していくような星回り。
人類学者である私(カスタネダ)が、ヤキ族のインディアンの老人であり昔ながらのシャーマンであるドン・ファンを師とし、もうひとつのリアリティの世界に触れていくさまを生き生きとしたルポルタージュによって描いた一連の著作は、1970年代から90年代にかけて多くの読者を獲得してきたことで知られています。
いま改めてここで彼の仕事をとりあげるのは、師であるドン・ファンが社会科学の学究の徒である「私」が宇宙に流れるエネルギーをそのまま知覚できるように手助けするにあたって、いかに注意深く、大らかに、そして我慢強く導いたか(すべて含めるとじつに13年以上もの歳月をかけた)ということに注目してほしいからです。
ドン・ファンはよくこう言っていたそうです。
シャーマンたちは、自分たちをとりまく世界を「エネルギッシュな真実」において認識していくが、その認識の度合いはあくまで訓練によって決まってくるのであって、その意味で知覚や認識というのは育てられ方の産物以上のものではない。
今週のあなたもまた、時間をかけて自分の認識を育てていくこと、そしてその際に自分を導いてくれる師や先達を持ち、彼らにおのれの未熟さを糺してもらうことの大切さを改めて胸に刻んでいきたいところです。
師を招き寄せるために
例えば、まだカスタネダと出逢って間もないころ、ドン・ファンは彼に次のように言ったといいます。
「この世界に、あらかじめ与えられている才能などというものは、ただのひとつもない。学ばなくてはならないことは、地道に、一歩一歩、学んでいかなくてはならない。」
では、何のために学ぶのか?
「未知なるものとの避けられない遭遇のために」
その意味では、カスタネダにとって他ならぬドン・ファンこそが、「未知」そのものであり、しかしそれもまた「弟子が準備できたとき師は現れる」という言葉の通り、彼自身が準備して招き寄せた未知に他ならなかったのでしょう。
今週のキーワード
地道に、一歩一歩、学んでいく