いて座
パノラマ的視界を開く
叙事詩的感性と眺め
今週のいて座は「釘を打つ日陰の音の雛祭り」(北野平八)という句のごとし。あるいは、当たり前のようにそこにあった日常が、これまでと少し違う次元へと少しだけズラされていくような星回り。
うららかな春の日、そういえば今日はひな祭りだったな、と心なごむ耳に、日陰の方から誰かが打つ釘の音が聞こえた。カンカンカン。ひな祭りのやわらかくまるい質感と、かすかな不穏さを伴なって響いてくる金属音との対比が冴えわたる一句。
ただそれは、明と暗のような鮮烈な対比というより、初めていった街の路地裏に迷い込んだ時のような、どこか違う次元へ足を踏み入れてしまった時の感覚に似ています。
光の加減なのか、空気の湿り気具合なのか、春の日ざしに映る事象や事物の焦点が突如ズラされ、相対化され、崩されていく。
そこで浮かび上がってくるのは、人が人と出会い、生き、別れ、再びどこかで結びついていく様態の茫漠たる情趣であり、それを眺める自分自身の心のはてなさに他なりません。
雲は流れ、飛ぶ鳥が視界をかすめる。それでも、それらの事物に鋭く焦点を合わせるのではなく、代わりにそれらを遠い彼方に、限りなく遠いところにながめていくこと。
3月6日(水)の天王星のおうし座入りを直前に控えた今週は、あなたにとってそんな叙事詩的な情緒が纏綿とし、こころに複雑な陰影をもたらされていくでしょう。
いったん自分を停止させる
例えば、朝がくると嬉しい。これはひとつの宇宙的感情であると同時に、それは俯瞰的な視点を惹起し、目線を遠くへ遣っていくための鍵でもあります。
つまり、そこから地球が西から東に回ってくれて、今、東京に太陽の光が届いているんだな、とか。
ふとこの足元の地球が、底知れない暗黒空間の中を、毎秒30Kmという猛スピードで回っていて、それを太陽がグッと見えないロープで支えてくれているんだな、とか連想が飛んでいって、次第にありがたいような恐ろしいような事実に思い至っていく。
そういうとき、人はなぜだか習慣化し目的を見失った自分の行動を停止させるだけの力が湧いてくるんですよね。そうして初めて、いま自分がしようとしていることが、いったい何のためなのか、もういちど再検討することができる。
そういう鍵を見つけていくことで、見ているものの次元をズラすということは実際に可能になっていくのだと思います。
今週のキーワード
鍵としての宇宙的感情