いて座
未知の自分をのぞきこむ
未知はいつだって既知を叩きのめす
今週のいて座は、多くの詩人や文学者に多大なる衝撃を与えた19世紀フランスの詩人ランボーのごとし。あるいは、詩人が詩人たりえる由縁を地でいくような星回り。
「僕が、はじめてランボオに、出くはしたのは、二十三歳の春であつた。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いてゐた、と書いてもよい。向うからやつて来た見知らぬ男が、いきんなり僕を叩きのめしたのである」
これは小林秀雄による有名な「ランボオ論」(1947年)の書き出しですが、これは小林が古本屋の店頭でランボーの処女詩集『ある地獄の季節』の豆本と出会った時の衝撃を言葉にしたのだと言います。
なぜランボーはそれだけのインパクトと魅力を持ち得たのか。それは彼が作品だけでなく人間としても詩を生き切ったからでしょう。
19歳からのわずか3年で膨大な数の詩を書き上げた後、彼は詩を捨てて旅の商人となり、最後はアフリカの砂漠で冒険家として生を終えたその鮮烈な生き様に、多くの人が詩の神髄を見たのだと思います。
では、ランボー自身は詩やその使命についてどう考えていたのか。
間接的ではありますが、ある手紙の中で彼は「詩人は、その時代に、万人の魂のうちで目覚めつつある未知なものの量を、明らかにすることになるでしょう」と述べています。
今週のあなたもまた、かつての小林秀雄のように、惰性的なものに支配されてしまいがちな日常の中で<未知なるもの>に目を開いていくことで、新しい自分を知ることができるかもしれません。
変化している自分に気付くこと
人は自分で気が付かないうちにこそ変化しており、いつの間にか頭の中のセルフイメージと現実の自分との間に無自覚なギャップを生み出しているものです。
よく相手の「ギャップに惹かれた」なんて言いますが、こうしたギャップがポジティブに効いてくることもあれば、ネガティブに効いてくることだってあるのです。
例えば、もともと贅沢など興味のなかった人が、欲望が渦巻く「東京」そのものに似ていった場合、どこかネガティブなものを感じてしまいます。
しかし逆に平日はスーツでビシッと決めている完璧主義者のようなのに、休日は近所の路地の猫のようになっている人だったり、いつもはコワモテなのにたまに陽射しをキラキラと反射させる川面のような笑顔を見せてくれる人に好感を抱く人は多いでしょう。
気が付かないうちに、自分がどんなギャップを生み出してしまっているのか、今週は改めて確認していくといいでしょう。
今週のキーワード
赤の他人としての自分という感覚