いて座
魂の認識
向こう側の世界を覗く
今週のいて座は、「寒鯉の窓の向かうカーテン厚く閉ぢ」(阪西敦子)という句のごとし。あるいは、これから突き抜けていく先の世界をのぞいていくような星回り。
「寒鯉(かんごい)」は寒中に水中でじっとしているコイのことで、冬の季語。ちなみに味がもっともいいのも寒鯉なのだとか。
この句の勘所は、コイのいる水平面下の空間と、窓の向こうの垂直の空間が90度に交わっていて、まるで相似形であること。
分厚い窓ガラスと厚いカーテンに閉じられた‟向こう側”の世界には何が待ち受けているのか分からないけれど、それは案外いま自分の目の前で水に閉じられた寒鯉のようなものなのかもしれない。
この世界にはたぶんまだ見ぬ立派な寒鯉があなたのことを待ち受けていて、それはどこかの家の池の中にいる寒鯉と相似形なのだ。
今週のあなたもまた、ふと通りかかった立派な邸宅の庭でものぞき込んでいくくらいの感覚で、今いる世界の向こう側を垣間見ていくことになりそうです。
<まったく未知なもの>としての魂
ランボーは、詩人とはいかなる人のことを言うかという問題について次のように述べています。
「詩人になろうと望む人間の探求すべきことの第一は、自己自身を認識すること、それも全面的に認識することです。自分の魂を探索し、綿密に検査し、誘惑し、学ぶことです。自分の魂を知ったら、すぐにそれを養い育てなければなりません」
これは簡単なようでとても難しいことです。というのも、そうして育てた魂は<まったく未知なもの>でなければならぬ、と彼は考えていたようですから。
自分にとって<まったく未知なもの>としての魂とは、また多くの人のうちで「目覚めつつあるもの」でもあります。
別の箇所ではこう書いています。
「詩人は、その時代に、万人の魂のうちで目覚めつつある未知なものの量を、明らかにすることになるでしょう」
未知の扉を開けるには、「秘密」か「盲点」が鍵になります。後者は自分は知らないけれど、他人は知っている自分について。
今週はそのいずれかの扉を開けていくことで、魂を育てていくのです。
今週のキーワード
詩人とは魂の覗き魔である