いて座
身軽と投身
不条理から飛んでいく
今週のいて座は、ぬけ殻を後にする蝉のごとし。あるいは、根本的な不条理さに直面しつつ、ふと何かに身を人にゆだねていくような星回り。
病いを得ると、人は驚くほどに変容していきます。それは病いというものが、純粋に不条理が結晶化したものだから。
「なぜ私でなければならないのか」
「どうして他でもない今なのか」
「私はなぜ生まれてきたのか」
これらの問いに対してぴったりの答えはありません。また、いくら説明されても納得はできないでしょう。
そもそも、あらゆる宗教というのは、「生きることは不条理である」というところから出発している。その上で、いかに苦悩を引き受けて生き抜くかという知恵の結晶が宗教なのです。
そして宗教の根幹は、身を貫くような切なさで自分が大いなるものの一部であると実感していくこと。蝉が地中から這い出て、はじめて空を飛ぶとき、彼らは何に身をゆだねていくのか。
今週は、不意にそんな風に思える瞬間がやってくるかもしれません。
一遍のいたった境地
道に落ちている蝉というのは必ず一匹だけで死んでいますが、ふとそういう光景が目に入ると、一遍上人の次のような言葉が思い出されてきます。
「生ぜしもひとりなり、死するも独(ひとり)なり。
されば人と共に住するも独なり、
そひはつ(添い果つ)べき人なき故なり」
(『一遍上人語録』下六十八)
すなわち、人間は生まれる時もひとり、死ぬときもひとりであってみれば、本質的にはこの世にあるときもひとりなのだ、ということ。
一遍は「捨聖(すてひじり)」という呼び名で知られ、あらゆるものを<捨てる>修行をしていくことで、改めて神や仏の前にみずからを裸で投げ出していった人でもあります。
なお<捨てる>修行とは、要らなくなったものや、余計になったものを捨てるのではなくて、自分にとって大事なもの捨てることによって、自由になっていくということ。
今週は、どうかきびしい状況でもそうした自由な魂を保持することを忘れずにいてください。
今週のキーワード
裸を投げ出す