うお座
自然な落しどころ
おのれを花に擬すならば
今週のうお座は、「月下美人あしたに伏して命あり」(阿部みどり女)という句のごとし。あるいは、みずからの根底に脈打つ命のあり様に、自分を重ねていくような星回り。
昔から「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」などと、美しい女性の姿は花に例えられてきましたが、どちらかというとこれは男性からの視点という気がします。
この句を作ったとき、作者は90歳前後。夜に神秘的なまでに美しい花を咲かせるものの、朝にはしぼんでしまう「月下美人」を見て、「伏して」もなお「命あり」と、外見の衰えよりもむしろその根底に脈打つ命の鼓動の力強さに心打たれている。
それはもし女性の立場からおのれを花に擬していくなら、どのようにそれをしたらいいのか、ということへのひとつの答えを提示していると言っていいでしょう。
同時に、どこかうわべではないところで自身の価値や存在の確かさを感じようとしている今のあなたにとっても、この作者の視線の置き方はよき指針になるのではないでしょうか。
「自然と空気が漏れだすような」
詩人・最果タヒは、イラスト詩集『空が分裂する』のあとがきで、自身が詩を「なんとなく、書き続けてきた」経緯について、次のように振り返っています。
「創作行為を「自己顕示欲の発露する先」だという人もいるけれど、そうした溢れ出すエネルギーを積極的にぶつける場所というよりは、風船みたいに膨らんだ「自我」に、小さな穴が偶然開いて、そこから自然と空気が漏れだすような、そんな消極的で、自然な、本能的な行為だったと思う。誰かに見られること、褒められること、けなされること、それらはまったく二の次で、ただ「作る」ということが、当たり前に発生していた。」
「自然と空気が漏れだすような」というところなどは、まさに今週のうお座にとって理想的な在り方と言えるでしょう。
みんなと違ってしまう自分の存在を隠すのでもなく、過剰な賞賛で塗りたくるのでもなく、ただそういうものとして受け止め、息をするように自然に打ち出していく。今はそんなところに落としどころを見つけていく時です。
今週のキーワード
月下美人