うお座
寂しさの先にあるもの
寂しい霞
今週のうお座は、「朧夜の四十というはさびしかり」(黒田杏子)という句のごとし。あるいは再び歩き始めるために、必要な憂いの陰に身を置いていくような星回り。
掲句の作者は40歳。もう若くはなく、しかしまだ老年でもない自分の年齢をひとり噛みしめています。
「朧夜」とは朧月夜の省略のことでしょう。作者は思わず感傷的になり「さびし」と呟いていますが、それは春の霞んだ月のようにどこか甘く切ないものです。
今のあなたのまとう空気感にもまた、それとどこか通じるものがあるのではないでしょうか。
人間、生きていれば寂しさはあって当然だということに心のどこかでは気付きつつも、その事実にどう折り合いつけていくべきか、途方に暮れる心のすき間から、霞は生まれてくるのだと思います。
寂しい霞はまもなく晴れていくでしょう。その時あなたは否が応でも、ふたたび颯爽と歩き始めることになります。今はまだ、霞のなかで面倒な自分にそっと寄り添うことで、朧夜の切なさに酔いしれられる。その贅沢をぞんぶんに堪能されてください。
「悲」はどこにあるか
鈴木大拙(すずき・だいせつ)はかつて、宗教の役割を「力の争いによる人間全滅の悲運」から人類を救うことにあるとし、知識や技術(智)の世界の外に慈悲の世界があることを忘れた現代人を批判しました。
ではその「慈悲」とはどこか遠いところからやってくる奇跡のようなものかと言うと、大拙はそうではないのだと言います。
いわく、
「智は悲によつてその力をもつのだといふことに気が付かなくてはならぬ。本当の自由はここから生まれて出る。……少し考へてみて、今日の世界に悲―大悲―があるかどうか、見て欲しいものである。お互ひに猜疑の雲につつまれてゐては、明るい光明が見られぬにきまつてゐるではないか」
と。
悲とは、おそらく寂しい霞の先にあるものなのでしょう。そういう道を、今あなたは歩みつつあるのだと思います。
今週のキーワード
慈悲と知恵