うお座
あわいに揺れるもの
祈りの行方
2018年、最初の週のうお座は、「灯篭や美しかりし母とのみ」(河原白朝)という句のごとし。あるいは、過去を手放していくか、それとも過去に飲み込まれていくか、どちらかに傾いていくような星回り。>
「灯篭」とは、お盆に帰ってくる亡き者たちの霊を、お迎えするために灯される灯篭のこと。
作者によれば、物心もつかない小さい頃に母は亡くなっており、生前の母を知る人は口々に美しい人だったといつもお盆の頃に忍んでくれるのだという。ただ、それを確認しようにも記憶もなければ写真1枚残っていない。そういう悲しい句なのです。
作者はそこでどうすることもできず、合掌するでしょう。そんな作者を思って、私たちも合掌する訳ですが、ではそこで何を祈ればいいのでしょうか。>
作者が亡き母と再び出会えるように祈ればいいのか、はたまた、すっかり頭の中に巣くってしまった過去の亡霊としての母への執着が消えていくよう祈ればいいのか。
ここに明確な答えはありません。いまはまだそのあわいで、揺れる心のままに流れゆく自分を見失うことなく感じていられれば、それでいいのだと思います。
『リリイ・シュシュのすべて』の印象世界
岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』という映画では、気分が暗くなる描写の多いのですが、一面に広がる田園風景とピアノの音色はその中でもとても印象的で、どこか今のうお座の置かれた状況を思わせるところがあります。
ドビュッシーのどこか儚げなピアノの音に導かれるように、あなたは心ここにあらずといった様子の浮遊感と、どこにも居場所のないような所在なさのはざまを漂うことになるでしょう。
えんえん続く緑の田園も、綺麗だなと思う反面、それが日常となってしまうと面白味がなくなるどころか、閉鎖性の象徴となりそうな予感を抱かせます。
あるいは日常と非日常、幻想と現実を行ったり来たりする中で、精神が研ぎ澄まされていくのが感じられるかもしれません。
今週のキーワード
灯りをともす