うお座
月待ち講の夜のように
あなたの月は何処に見えてる?
今週のうお座は、「意味のある関係」や「関係に潜む意味」を強く求める気持ちが出てくるでしょう。
これは、気が付いた時には当たり前のようにそばにいる月は、自分にとってどんな存在なのだろう?と考えてしまうのに似ているかも知れません。
月を重ねる対象は、仕事であれ、パートナーであれ、自分の境遇や身体的特徴であれ、いずれにせよ「ほとんど溶け合うほどに馴染んでしまっている」もの。
月はだんだん地球から遠ざかりつつあるので、いずれ地球との関係も解消されていく訳ですが、もともと地球は6時間ほどで自転していたものが、月の潮汐作用によってブレーキをかけ自転スピードを徐々に遅らせていったことで、現在の24時間になったそうです。
もし月が存在しなかったら、一日はたった8時間ほどになっていただろうと予測されていますから、とてもじゃないですが、地球人は「健康で文化的な最低限度の生活」なんて送れそうもないですね。ある意味で、地球に自分の存在に悩むだけの「ふり幅」を与えてくれたのが月なのだ、という風にも言えます。
もっとゆらいでいい
もちろん地球人は月を愛してきただけでなく、太陽も崇拝してきましたので、この月と太陽をめぐる断章を幾つか引いておきたいと思います(荒俣博・松岡正剛『月と幻想科学』より)。
「太陽からの過剰エネルギーで国家の文明ができあがる。それに対して月球は常に彼方にあって、私有できなくて、われらが幻想のようで、アナザー・ワールドである。つまり、役に立たない。」
「月はわれわれが等身大に思考できる対象のうちで最高のものじゃないでしょうか?太陽は偉いかもしれないけれど、決して優しくない。」
いかがでしょうか?月は人に、もっと揺らいでいい、曖昧でも構わない、と言ってくれているようにも思えます。
そんな月的なるものに対して、嫌悪や縁切りを望む場合もあるかも知れませんが、それらとの関係がたんなる物理的な協調をこえて、宇宙的なベクトルにのったとき、月と地球は聖なる家族となってくるでしょう。
今週のキーワード
くだらない駆け引きよりノスタルジー、地球にとっての月の存在、聖家族、役に立たない