うお座
三叉路を通り抜ける
夜の散歩を行くときは
今週のうお座は、夜の散歩で出くわす三叉路のごとし。あるいは、これまで誰かと歩んできた道のりの消費期限と必要な別れ、そして新たな道行きの始まりを予感させられるような星回り。
昔から、分かれ道に大きな樹が1本生えている三叉路が好きでした。夜に通ると、昼間とはまったくの別人のように暗い影を落としていて、こちらの心を試し、迷わせるのです。
そこでどちらの道をゆくかを勘だけで決めるのですが、何度かやっていると、たまに「あ、こっちで正解だった」と妙に確かな手ごたえを感じることがあるのです。
おそらく、それは雰囲気に流されずに自分の体調や気分にマッチした方の道を選べた、ということなのだと思います。
考えてみれば、私たち日本人(特にうお座の人)というのは、純粋に自分のことだけに集中して何かを選択をするということがほとんどできてないか、たまに出来たとしても苦手としているように思います。
いつも誰かの顔や視線が浮かんでその相手の意図を無意識のうちに汲みとって行動していますし、実際に誰かと一緒にいる場合は相手に選択の主導権を押しつけていたりする。
ですが、今週はあなたの番です。人の顔色をうかがうのではなく、自分の身体や感情と対話しつつ、歩くべき道を選んでください。たとえ大きな樹の下で誰かとの繋がりが切れていくとしても。
解散と自由
1929年8月2日、ジッドゥ・クルシュナムルティは自らを救世主として仰ぐ星の教団の解散を宣言しました。以下は、長い長いその宣言文のごく一部を引用したものです。
「私は自由であり、どんな条件にも影響を受けず、全体であり、部分的でも相対的なものでもない、永遠である〈真理〉全体なので、私を理解してくれ、自由で、私に追随することなく、私を使って宗教や宗派となる獄舎を創り出すことのないような、そのような人々を求めます。
(中略)
誰も外側から自由にはしてくれません。組織的な礼拝も、大義のために自身を犠牲にすることも、あなたがたを自由にすることはできません。組織の一員になっても、仕事に身を投じても、あなたがたは自由にはなれないのです。」
もしかしたら、夜の散歩で三叉路を通ることは自由になるための最良のレッスンの一つなのかも知れません。勘が冴えなくなってドツボにハマっているとき、ぜひお試しあれ。
今週のキーワード
不要なものは樹の下に捨ててくる