
うお座
何だかすべて忘れてしまうね

早春の消しゴム
今週のうお座は、「大海の波で自己を洗う者は幸いである」という言葉のごとし。あるいは、上から脳裏に刻まれた言葉を消去していくような星回り。
哲学者のアランは、「どっしりと動かぬ田舎から帰ると」と題したプロポ(「たわいもない話」の意)の中で、嵐が去った後の海はいつだって新しい海であるのに対し、大地の上では「それぞれのものが自己の内で閉じて自己のために存在して」おり、「ここではわれわれは記憶にとらわれている。ここには運命が記されている」のだと述べていました。
そしてこうした海と大地、水と岩、という相反する2つの性質を併せ持つ存在として人間を思い描いた上で、次のように主張するのです。
人間のしるしのなかには、人がそれによって自分を描こうとし、いつまでも消えぬ入れ墨にしようとするあの文字(エクリチュール)とはちがうエクリチュールがあるように思う。ぼくは月の周期や、空気、風、そして地球の旅である季節が素描されているこの流れる縁をまねて、人間の顔を描きたい。(『四季をめぐる51のプロポ』)
そうして絶えず自分を新たな自分に書き換え続けいくことでこそ、人のこころは安らかでいられるのだ、と。彼はこの話を次のような言葉で結んでいます。
大海の波で自己を洗う者は幸いである。また、なにひとつ洗い落とせないとする運命の不吉な考えを自分の精神から洗い落とす者は幸いである。それは眠ることを知ることだ。それはまた、大いなる知である。
この「大海の波で自己を洗う者」という表現は、思い込みにより固定化されていた運命がザバーンと変わってしまう決定的な瞬間を表わしているように思います。
2月21日にうお座から数えて「社会的に規定された言葉の使い方」を意味する10番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、潮が満ちては引いていくように、自然と変容が起きていくプロセスに身を委ねていくべし。
思い込みのもつれとして恋
「変」の旧字体に「變」という字があり、漢字語源辞典によれば、上部の「䜌」はもつれた糸(絲)を分けようとする様を表わし、下部の「攴」は不安定で変わりやすい様を表わしており、そしてこれと同じ構成の字に「戀」があります。
つまり、「戀(恋)」とは、2本のもつれた糸が1つの言葉をはさんで、ちょっとしたことで白が黒になったり、善が悪になったりとするような事態を言うのではないでしょうか。
なぜそうなるのかは、もちろん個々の場合によりますが、一方の糸から出た言葉が他方にはひっくり返って伝わっていく。いったんもつれると解くのは容易ではなく、やりとりをすればするほど、互いの思い込みが強まり、最終的にこころがすっかり裏返ってしまう。
では、言葉などない方がいいのか。然り、なしでも済むのなら、ないに越したことはないでしょう。例えば、痴情のもつれで相手に何か言われたとしても、黙って相手を見つめるだけでいい。言いたいことを言わせておいて、最後に横を向いて煙草の煙を一吹きするか、そっと肩に手をおいて引き寄せればいい。そうして、「自己を洗う」のです。
今週のうお座もまた、何と向かえど相手を変えようとするのではなく、まず自分自身を変えることで「戀」をほどいてみるといいでしょう。
うお座の今週のキーワード
眠ることを知る





