うお座
創造的な迷い
取り合わせの妙
今週のうお座は、「パプリカの赤を包丁始かな」(西山ゆりこ)という句のごとし。あるいは、あざやかに新旧を織り交ぜていく手つきに神経を使っていこうとするような星回り。
新しい年を迎えて最初に包丁を使ったのが赤いパプリカだった。それだけと言えばそれだけの句なのですが、よくよく見直してみるとその取り合わせの不思議さに立ち止まっていくことになるはず。
「包丁始(ほうちょうはじめ)」という古風な季語と、赤パプリカがよく映えるようなどこかポップな生活感とが、なにかの拍子に鉢合わせて互いに面食らっているような想像が働いて、どこか妙な気分になってきます。
これは例えば、おせち料理にローストビーフを入れるとか、着物にブーツをあわせるとか、Francfranc(フランフラン)でおうちに祭壇を組むといった、古いしきたりに現代的な感性を上手に組み合わせてみせた成功例が芋ずる式に思い浮かんでくるのですが、考えてみればそうした新旧の風俗がたえず織り交ぜられていくなかで、みずからその器になっていけるところに生活の醍醐味というものがあるのではないでしょうか。
そしてその中には、スマホを一定時間しまって使わずに過ごしていくためのケースを取り入れてみるとか、新しい出会いをアプリ以前の時代に戻して作り出していくとか、現代的なテクノロジーからあえて撤退していくような選択肢もあっていいはず。
その意味で、1月7日にうお座から数えて「等身大の身体性」を意味する2番目のおひつじ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、できるだけ思いきった実験を生活に持ち込んでみるといいでしょう。
人間とは何かという問い
今週のさそり座は、『聖なるズー』の投げかける問いのごとし。あるいは、新しい事態を前にどう振る舞えばいいのか、創造的に迷っていこうとするような星回り。
犬や馬などを性の対象とする「ズー」と呼ばれる人たちを取材した濱野ちひろの『聖なるズー』は、特にその性の側面に着目して、彼らズーを次のように言い表しています。
ズーとは、自分とは異なる存在たちと対等であるために日々を費やす人々だ。ズーたちは詩的な感覚を持っているのかもしれないと、私は思う。動物たちからの、言葉ではない呼びかけに応じながら、感覚を研ぎ澄ます。そして、自分との間にだけ見つかる特別ななしるしを手がかりに、彼らはパートナーとの関係を紡いでいく。
本書が説くように人間と動物とのあいだにもし特別な交感の可能性が開かれているのだとすれば、その事実は、著者が言うように「人間とは何かという問いでもある」ように思います。
そうして、ここでズーたちの存在は、既存の『鉄腕アトム』や『ドラえもん』が無意識のうちに浸透させた、人間以外のものとのパートナーシップを当たり前のものとする感性と相まって、果たして私たちは日ごろから本当に人間同士で対等なパートナーシップを築けているのか、むしろ人間以外とのさまざまな関係性を取り入れ、助けられることでようやく人間は生き延びるための“新旧の織り交ぜ”を成立させることできているのではないか、といった根源的な問いを投げかけるにいたるのです。
その意味で、今週のうお座もまた、普段自分がどのような関係性や取り合わせに開かれ、生かされているのか、改めて問い、実践していくことになっていくでしょう。
うお座の今週のキーワード
当り前を打ち崩す