うお座
闇と山姥
肌が粟立つ
今週のうお座は、『閂をかけて見返る虫の闇』(桂信子)という句のごとし。あるいは、「虫の知らせ」を通じて今まで気付いていなかった違和感が強まっていくような星回り。
「虫の闇」とは、くらやみの中で虫が鳴いていることによって、闇がいっそう深いものに思えることを言っているのでしょう。
作者は家の門を「閂(かんぬき)」をかけて戸締りし、振り返ったその瞬間、そこに思いもよらない怖ろしいまでの深い闇が存在していることに気付いた。ここで闇は、単に光が十分に行き届いていない“その他の領域”といったありふれた周縁的な存在から、不気味な怪物としての他者へと一気に躍り出てきたわけです。
「見返る」というなにげない日常的な行動を句のまんなかに置いたことで、かえって薄皮一枚隔てたところまで、その不気味な怪物としての深い闇がひたひたと迫って来ていた感じが醸しだされて、まるでジャパニーズ・ホラー映画の一幕のような静かな迫力を感じさせてくれます。
「虫の闇」というのは、視覚ではなくてうなじや背中のような皮膚感覚のなかでも特に敏感な箇所によって、しかもかすかな違和感を通じてじわじわと味わっていくものであって、おそらく日本人というのはこうした「闇の感覚」を伝統的に培っては文化へと変換してきたのではないでしょうか。
9月3日にうお座から数えて「他者」を意味する7番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、神経や皮膚感覚を全集中させて日常のすぐ隣りにある「深い闇」を感じとっていくべし。
人との交わりを切なく求めた山姥
「食わず女房」という昔話があります。人には何もくれたくない欲たがりの男が、飯を食わぬ女房を欲しがっていたところ、女が訪ねてきて自分は飯を食わずによく働くから女房にしてくれといい、男は女房をにします。
ただ、自分が食べた以上に米が減ることを不思議に思った男が隠れて女房をのぞいてみると、おもむろに髪の毛をほどいた女房の頭から大きな口があらわれて、途方もない大食いの鬼女に変化したのです。男はすっかり度肝を抜かれ、何食わぬ顔をして帰宅してから離縁を告げると、今度は女房が男を食おうとして、男は命からがら逃げだす、というのが主なあらすじ。
さて、この山姥の昔話はいったい何を意味するのでしょうか。歌人で文芸評論家の馬場あき子は『鬼の研究』のなかで、「おそらくは人との交わりを求めて飯を食わぬという過酷な条件に堪えて」山姥があえて異類である人間の男に嫁いできたことに着目し、「頭頂に口があったという荒唐無稽な発想は、民話的ニュアンスのなかで、山母が常人との交わりの叶わぬ世界の人であることを匂わせたものであろう。むしろ山母が常人との交わりを求めるために果たした努力のあとが語られていて哀れである」と述べていました。
つまり、「食わず女房」は最初から男を喰らうことを狙っていたのではなく、男が盗み見て自分の正体に気付いたときに、初めて男を食べる対象に変換させたのであり、それはあまりに身勝手な要求を突きつける人間を相対化する絶対的な他者としての自然の象徴だったのかも知れません。
今週のうお座もまた、そうした自分の身勝手さやちっぽけさを相対化させてくれるような他者と向き合っていきたいところです。
うお座の今週のキーワード
見返る