
うお座
ポワポワを見守る

ただ頑張ることより大切なこと
今週のうお座は、ジャズのセッションのごとし。あるいは、なんとなくいい音を奏でられるように、相手や周囲と関わっていこうとするような星回り。
キリスト教思想研究者である柳澤田実は、『ディスポジション:配置としての世界』に収録された論文「馬に乗るように、ボールに触れ、音を奏でるように、人と関わる」の中で、「世界は配置(disposition)であり、人間は自らを取りまく配置によってたえず態勢づけられている(disposed)」という言い方で、「世界を認識主体の構成物あるいは表象として捉える近代的な世界観」を相対化するために「配置(disposition)」的に世界を理解していくというアプローチを提唱しています。
それは「意識や主体に先行/潜行する世界を、しかも意識や主体をも包摂しつつ先在/潜在するその世界を、認めるという態度」から出発しており、それでいてあらゆる「主体」を単に無効化し、「何でもあり」な相対主義や、非人間主義的な思想に帰着しようとするのではなく、「①身体から独立した自己意識の優位、②心の私秘性、そして③効率化優先の自然科学的な世界観」を批判しつつ、非人称的な「うまくいく(going well)」が成り立つとき、そこで一体何が起こっているのかを明らかにする試みなのだ、と。
「うまくいく」ための関わりには、「調和」や「統一」といった強い概念を使った説明は不自然であり、むしろ理性的判断や“高い意識”に還元されることのない微妙な調整を実現している「配慮」や「気配り」のようなものが欠かせず、柳澤はそこにこれまでの強い概念体系では捉えられなかった「幸福な倫理の可能性」があるのではないかと述べています。
8月4日にうお座から数えて「流儀」を意味する6番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自己自身の固有性を心のうちにばかり求めるのではなく、むしろ微妙な配置の仕方やその調整においてこそ求めていくべし。
「在る」と「成る」
例えば、ドラマとは本来あらかじめ用意された劇場や台本によって成り立つものでは決してありません。
ドラマが演じられると、そこが劇場になり、しゃべった言葉が台本になって続きが書かれていく。つまり、ドラマというのはすでに用意された正解のようにして「在る」ものではなく、あるとき不意に「成る」ことで起きてしまうものなのです。
逆に言えば、劇場になりたがっている街へおもむき、そこでドラマになりかかっている現実のポワポワした部分に光を当て、そっと言葉に乗せていくとき、何でもなかった日常がドラマに成っていく、ということでもあります。
問題が起きるとすれば、そうした「成る」プロセスをしばしば私たちが邪魔してしまう、ということなのではないでしょうか。今週のうお座もまた、そういう場面で、できるだけ日常の邪魔をせず、己を空しくしていくことがテーマとなっていきそうです。
うお座の今週のキーワード
とりあえず強い概念や高い意識は捨てていけ





